杵臼事件
先祖の墓地を「発掘」され、遺骨を持ち去られたままになっている浦河町杵臼コタン出身の城野口ユリさん、小川隆吉さんら計3人の遺族は2012年9月14日、北海道大学に遺骨の返還と1人当たり300万円の慰謝料支払いを求めて、札幌地方裁判所に提訴しました。
- 第1回口頭弁論における城野口ユリさんの意見陳述書(全文)
- 第2回口頭弁論における市川守弘弁護士の意見陳述要旨
- 第3回口頭弁論における小川隆吉さんの意見陳述書
- 2016年3月25日、3地域の訴訟のうち浦河から持ち去られた遺骨について和解が成立しました。
- 和解後の記者会見
- 2016年7月15-17日、北海道大学医学部のアイヌ納骨堂(札幌)から、12箱分の遺骨が約85年ぶりに故郷・北海道浦河町杵臼コタンに帰還しました。
第2回口頭弁論における市川守弘弁護士の意見陳述要旨
2013年2月8日
意見陳述要旨
原告ら訴訟代理人 弁護士 市川守弘
第2回口頭弁論に当たって、原告ら代理人を代表して、本件訴訟の今後の進行について、主張、立証していく内容を概観した「冒頭陳述」をいたします。
1 本件訴訟の法的争点
本件訴訟は、遺骨の返還を求める訴訟であるため、その法的争点は極めて明快なものです。それは、第1に被告が遺骨を占有していること、第2に原告らは遺骨の返還を求める根拠があること、第3に被告の遺骨の占有は何らの占有権限を有していないこと(抗弁に対して)、の3点です。
2 遺骨の占有事実
被告は、浦河町杵臼から発掘されたアイヌ人骨を保有していることを認めています(答弁書8ページ)。また原告らが被告以外の研究機関等が杵臼から遺骨を持ち去った事実はなく、杵臼から持ち去られた遺骨はすべて被告が占有しているとの主張(訴状11ページ)に対しては単に「否認」するだけであって、積極的には争っていません。もっとも、杵臼から持ち去られた遺骨は被告が占有するもの以外にも存在するのか否かは、あまり重要ではなくかつ予備的請求に関する問題でしかなく、主位的請求にはそもそも影響しないものですが、被告がこの点について積極的に否認できないのですから、杵臼から持ち去られた遺骨はすべて被告が占有していると認定できるものなのです。
3 原告らの権限
この問題には、様々な法的論点が存在しています。私たちは、主位的請求において歴史的なコタンという集落の管理権限を主張し、原告らはそのコタン構成員の子孫であることを主張しています。
被告は、単に現民法上の遺骨は財産であり相続の対象であることを前提に、原告らが適法に相続しているのか否か、あるいは適法な「祭祀承継者」なのか否か、のみを問題にしています(答弁書8ページ及び15ページの結論部分)。
(1) アイヌの遺骨の管理権限を裏付ける2つの考え
被告が殊更に無視しようとしている論点は、コタンという集団の管理権限の有無についてです。私たちは、この管理権限を裏付ける一つとして、コタンの権限という法的論点を提示するものです。これは17世紀以降のヨーロッパ列強による世界制覇の中での列強国と先住民との関係を規律した法体系から導かれるものです。
アイヌの人たちは、本州のアイヌに関しては和人側の記録では7世紀には登場し8世紀には出羽の国との交易、「反乱」等の記載が存在し、北海道では鎌倉期に夷島(アイヌの住む島)として吾妻鏡(1189年)などに登場します。
江戸時代では、訴状で述べたように17世紀初頭から徳川家康の松前に対する黒印状によって、「蝦夷のことは蝦夷まかせ」とされるアイヌ社会を幕藩体制から除外する政策が行なわれていました。幕藩体制下では蝦夷が島(北海道)の松前周辺の和人地以外はすべて蝦夷地とし、アイヌには人別帳の作成もされなければ課税すらも課せられてはいませんでした。
では、そこではアイヌの人たちはどのような政治体制、あるいは社会体制のもとで生活していたのでしょうか。
アイヌの人たちは、それぞれのコタンがイオルという支配領域を持ちそれぞれのコタンがそれぞれの民事法、刑事法、民事刑事の訴訟法をもち、例えばイオルが他のコタンのアイヌの人たちに侵略された場合には「戦争」になりました。アメリカにおけるインディアン法(アメリカではロースクールにおいてもインディアン法とされているので、こう表現する)にしたがってこのコタンの法的地位をみると対内的主権を有する主権団体と認めることができます。この点をひとまず置くとしても、少なくともコタンごとが独自の法制度を有していた事実を認めざるを得ないのです。
旧北海道庁が、大正11年11月に発行した「旧土人に関する調査」というアイヌに関する調査では、大正11年現在でも平取や三石では、コタンにおいて民事刑事の裁判が行なわれていた事実が記載されています。
このようなコタンのもつ法的性質、法的地位から原告らの管理権限を根拠付けようとするものです。
もう一つは、必ずしもこのような法体系から紐解かない場合において、日本の民法における民法制定以前の集団の慣習法上の権利として考察するものです。
この点では、このコタンの管理権限を「物権的権利」として現民法上175条の物権法定主義等の解釈問題にもなります。少なくともこのコタンの権限という問題は、民法制定以前から存在していた慣習法上の集団の権限であるという点が重要です。各コタンにおいて訴訟まで行なわれていた民事関係を規律する民事法は、慣習法と評されるべき法でした。そしてこの慣習法は和人側の記録でも前に述べたようにアイヌの存在が認められている鎌倉時代にまで遡れる歴史的、前民法的、前憲法的な慣習法だという事実です。日本民法は明治31年7月16日、明治31勅123 として制定された極めて新しい法律です。175条の物権法定主義も民法制定以前の慣習法によって温泉権などの権限が認められているのですから、本件での論点であるコタンの遺骨管理権限は現民法の制度上も、コタンの慣習法上の物件的権利として認められるのか否か、という論点として論じられるべきものなのです。
私たちは、今後、原告らの遺骨の管理権限を裏付けるものとして、第1にコタンの歴史とその権限の内容、第2にその権限は現民法上も慣習法の一つと認められるものであることを主張、立証する予定です。
(2) 現在におけるコタンの権限とその承継問題
被告北海道大学法学部のある高名な教授は、「欧米の法体系を継受した日本では権利主体が原則として個人」であるとしてコタンのような集団の権利を否定する考えを述べています(厳密には権利ではなく権限と捉えるべきであろう)(日本学術会議発行、学術の動向2011年9月号)。
しかし、欧米の法体系を継受した後の大正11年時点ですでに述べたようにコタンにおいて独自の裁判が行なわれていたのですから、まずはコタンがどのような権限を行使していたのか、そのようなコタンという集団は現在において存在しているのか、存在していないとした場合にはかつてのコタンの権限はどのように変容・承継されているのか、を研究すべきでしょう。
前項で述べた一つめの管理権限を裏付ける根拠との関係では、私たちは、本件訴訟において杵臼コタンが存在したこと、杵臼コタンはコタン構成員が死亡した場合にはコタンの領域内に埋葬し、コタンという集団がその埋葬場所を管理していたことを、まず主張するものです。この権限は、国際法上は先住権といわれている権限の問題です。
次に、もしこの杵臼コタンが現在において機能していなかったとしても、かつての杵臼コタンの構成員の子孫である原告らは杵臼コタンに埋葬された遺骨を管理する様々な行為、例えばイチャルパという慰霊行為などを継承して継続していたことから依然として杵臼から持ち去られた遺骨の管理権限を有していると主張するものです。
この継承されるはずの権限の根拠は、市民的・政治的権利に関する国際人権規約(ICCPR)27条の文化享有権その他によって裏づけられることを主張する予定です。
さらに、現民法上の慣習法として原告らの遺骨管理権限を論じた場合には次のように考えています。
すでに述べたコタンという集団の事実としての遺骨の管理実態は、日本の民法的問題として考えた場合に、その遺骨の所有はコタンという集団の総有(ないし合有、共有)関係における問題と考えることができます。
アイヌ社会においてはコタンのアイヌが死亡した場合、その遺骨はコタンが管理すると述べましたが、この管理を民法的に捉えれば、コタンという集団を構成する全員による遺骨の総有ないし合有、共有に基づく管理行為と見ることができます。
原告らは、かつての杵臼コタンの構成員の一部の子孫です。つまり遺骨の所有関係のみを日本民法として捉えた場合には、杵臼コタンに埋葬されていたすべての遺骨に関して、総有ないし共有関係にあった構成員の権利を継承しています。しかも本件は持ち去った埋葬場所への返還を求めるという、遺骨の保存行為として本件請求をなしているのですから、構成員の子孫全員によらなくても原告らには明らかに返還を求める権限が存在するといわざるを得ないのです。
(3) 小括
以上のように、アイヌ社会の歴史考察、コタンの集団としての権限、原告らの地位等から検討した場合、アイヌ先住権、アイヌの権利、あるいは民法的な管理権限が本件の主位的請求の法的論点となっていくもので、原告らは今後、これらの諸点について主張・立証を尽くすものです。
4 被告の占有権限
被告は答弁書において裁判所が、原告らが祭祀承継者等に該当すると判断すればそれに従うと述べています。一方で被告は遺骨を返還することを「切に希望」すると言いながら、本件では訴訟に敗訴しなければ返還しないことを明言しているのです。
しかし、この態度は、学術研究機関である被告として決して許される態度ではありません。このような態度が、アイヌの人たちを苦しめ、無益な摩擦を引き起こすのです。科学者の社会的責任が強く意識されなければなりません。
被告は、一方で、このような開き直りとも思える態度をとりながら、自ら本件遺骨を占有する占有権限を具体的に主張していません。
誰の承諾を得て発掘し持ち去ったのか、「遺族の承諾」とするならば、それぞれの遺骨についてだれが遺族、つまり被告のいう祭祀承継者であったことを確認したのか、について全く触れていません。したがって、このままでは被告の本件遺骨の占有は違法・不法占有であるということです。違法に本件遺骨を占有する被告が、敗訴しなければ返還しない、という開き直りは決して許されるものではないことは明らかです。
被告が、裁判所によって原告らが祭祀承継者等に該当すると判断すればそれに従う、と述べることは、次の問題も引き起こします。つまり、被告はすでに幾つかの遺骨をウタリ協会支部に返還したとする問題です。被告は、ウタリ協会の各支部が「祭祀承継者」であることをどのように確認したのか、もし、この返還当時に祭祀承継を問題にしていなければ、本件においてだけ祭祀承継を問議するのは、被告が遺骨返還に関して二重の基準を用いていることを主張するもので、明確に矛盾した態度です。
5 結論
私たちは、本件訴訟において、コタンという集団としての権限とその承継問題についてアイヌ先住権をはじめ民法的考えをも踏まえながら今後主張し、立証するものです。被告においては、原告らと誠実に議論し、学問の府として負の遺産を真摯に清算すべきことを切望するものです。