杵臼事件
先祖の墓地を「発掘」され、遺骨を持ち去られたままになっている浦河町杵臼コタン出身の城野口ユリさん、小川隆吉さんら計3人の遺族は2012年9月14日、北海道大学に遺骨の返還と1人当たり300万円の慰謝料支払いを求めて、札幌地方裁判所に提訴しました。
- 第1回口頭弁論における城野口ユリさんの意見陳述書(全文)
- 第2回口頭弁論における市川守弘弁護士の意見陳述要旨
- 第3回口頭弁論における小川隆吉さんの意見陳述書
- 2016年3月25日、3地域の訴訟のうち浦河から持ち去られた遺骨について和解が成立しました。
- 和解後の記者会見
- 2016年7月15-17日、北海道大学医学部のアイヌ納骨堂(札幌)から、12箱分の遺骨が約85年ぶりに故郷・北海道浦河町杵臼コタンに帰還しました。
第1回口頭弁論における城野口ユリさんの意見陳述書(全文)
2012年11月30日
浦河郡浦河町 城野口 ユリ
私は浦河郡浦河町に住んでいる、城野口ユリといいます。
生まれは浦河町字杵臼村で、旧姓は山崎ユリというアイヌです。
私はあまり教育もない人間ですが、アイヌとして差別の中で育ってきました。ここ数十年、少数民族懇談会や浦河文化保存会を通じて、アイヌの権利や文化の保存のために私なりにできることを積み重ねてきました。そんな中で、今年9月、浦河町の「文化功労賞」を受賞しました。
私が、北海道大学を相手に、先祖の遺骨を返還せよという裁判を起こしたのは、今は亡き母の遺言に基づくものです。私の母の思い、そして私がなぜ裁判まで起こさなければならなかったのかをお話いたします。
私の母は山崎マツといいます。原久比知通冨とフツムムキの長女として、明治35年に生まれました。母の祖父は、原加番多意といい、祖母はラフリといいます。母の先祖は、江戸時代から代々、杵臼村のコタンで暮らしていました。
母は、一生、神様や仏様を信心していました。そして、目の悪くなった人々を治して人助けしていた母です。村の人々はそんな母のことを「山崎眼科」と言い、互いに笑って暮らしていました。母は昭和60年に84歳で亡くなり、今年は27回忌でした。
アイヌは自然の神様に対してカムイノミというものをします。その時、母は、節をつけて、アイヌ語で、
「墓を掘られて情けない」
「骨をもっていくなんてとんでもない。エカシ、許してくれ。」
という言葉を繰り返していました。
アイヌ語なので、幼い私には意味が分かりませんでしたが、小学校3年生くらいのときにそういう意味だと知りました。意味がわかったとき、私は大きくなってから先祖のかたきをとろうと思いました。
そして、母が亡くなる2ケ月前のことです。母は私に突然、
「ユリに伝え残したい事がある。よくよくしっかり聴け!オラは何時死んでも悔いはないが、先祖に対して申し訳ない事がある。」
と語り始めました。
「北大病院の医者(和人=シサム)達が、黙ってオラのエカシ(孫爺)やフチ(孫婆)、アチャ(父)、ハボ(母)達や周りのお墓を掘り、穴だらけになっていたのが情けないんだ。お前も見たので覚えているだろう、ユリ。オラは何時どうなってもかまわないが、先祖のもとに行った時、『マツ!お前はその年まで娑婆にいて何をやって来たんだ!折角収まっているオラ達先祖のお骨をコタンに戻してもらう事ができなかったのか?』とオテッキナ(怒鳴られる)と思うと、死にきれないのだよ。ユリ、頼むから北大にあるオラの先祖のお骨を杵臼コタンに返して欲しい。何とか努力してくれ!」
そして、こうも言いました。
「オラ、この54~5年間、情けなくて、情けなくて、たとえ1日だってこの事について忘れた事はないよ。オラはカムイノミする度に、ピンネ アイアシナウコロ オイナマツサンケ カムイ(遠い、遠い、温かい女の神様)、キナスカムイ(龍神様)にお願いしている。アイヌだからと人バカにしているシサム達に、天のバチクワチを与えてくださいと祈っている。災害など悪い事が起きた時は必ずオラを思い出してくれ。オラは何時も天から見下ろしている。そして、北大を訴えて罰金も取れ!」
と、涙しながら私の手をぎっちり握って離そうとしなかったのです。
私はこのときの事を思うと、つい昨日や今日のことのように思います。
私も母の言い残した言葉は、人間として簡単に言葉に言い表せない思いのこもった言葉と思っております。
私も40代、50代のときはアイヌ民族に対する差別などに関して、差別撤廃運動に走り回りました。その折りには、鷲谷サトさん、鈴木ヨチさん共々、この北大のお骨問題も取り上げて、一生懸命運動しました。しかし、この当時、世間ではこのお骨問題について関心がなく問題視されませんでした。
私自身80歳を目前にして、母が残した言葉を大事にして行動しなければならないと強く実感いたします。
杵臼の墓地には、私の祖先、母方の曽祖父の父、曽祖父母、祖父母、父方の曽祖父、祖母、その妹たちが埋葬されていました。
当時、北大の医者たちに盗掘された骨については、杵臼の本巣長平さんの鳥小屋に置かれたブリキ蓋付きの缶に入れられていました。これがとんでもない異臭で耐えきれなかった、と本巣さんのお婆さんから、いろいろ話を聞いたことがあります。
母の思い、そして私の思いは、
(1)なぜ、どういう理由で北大はアイヌに無断でお墓を掘り起こしたのですか?
(2)そのお骨を、北大はどのように使ったのですか?
(3)お墓の遺体には、宝物(刀・タマサイなど)が必ずありますが、それはどうしたのですか?
(4)遺骨が眠っていた杵臼コタンの墓地に、遺骨を元通りに戻して欲しいのです。一緒に埋葬されていたタマサイや耳飾りや刀も埋め戻してほしいのです。
(5)母は54~5年間もの間、悔しくせつない生涯を過ごしました。その償いを誠意を持って示して欲しいのです。お金には変えられない心の問題でありますが、損害賠償や慰謝料などでの形で、謝罪の心を示してほしいのです。
以上が、母の遺志なのです。
そして、私自身も、北大に強く求めたいことなのです。
この問題が解決しなければ、死んでも死にきれません。
私とこの裁判の2名の原告は、2011年12月に、北大総長宛に、先祖の遺骨と副葬品の返還と謝罪を求める申入れをしました。しかし、北海道大学の態度はとても不誠実なものでした。ろくに回答もしません。弁護士をつけてあうことも拒絶しました。寒い、雪が降る中を会いに行くと、玄関にガードマンを4名も配置して、一歩も中に入れようとはしませんでした。交渉してやっと玄関に入っても、玄関ホールでの立ち話です。私たちアイヌを人間扱いしない、この態度に、昔、母たちが味わった悔しさは、今も、全く変わりがないと思い知りました。
北大は、口では遺骨を返還すると言っています。けれども、子孫が具体的に返してほしいというと、黙ってしまうのです。私たちは、北大が話し合いが通じない相手だとよくわかったので、とうとう裁判に踏み切ったのです。
この裁判で、北大に本当のことを言ってほしいのです。まずは真実を明らかにしたいのです。