アイヌ遺骨返還請求訴訟

紋別事件

2014年1月、畠山敏さんがモベツコタン(北海道紋別市)由来の遺骨4体の返還などを求めて、北海道大学を提訴しました。


和解後の原告団記者会見

2016年11月25日、3地域の訴訟のうち紋別市内から持ち去られた遺骨について和解が成立しました。

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和解成立後、記者会見する原告の畠山敏さん(右から2人目)ら。2016年11月25日午前、札幌弁護士会館で。撮影・市川利美(北大開示文書研究会)

アイヌ遺骨返還請求訴訟(紋別事件)和解成立後の原告団記者会見から。
2016年11月25日、札幌弁護士会館

市川守弘・原告弁護士

みなさん、お集まりいただきどうもありがとうございます。

きょう、紋別で畠山さんが訴えを起こしていた、紋別から発掘されて北大が保管している4体の遺骨について裁判の和解が成立しました。

和解内容は、来年の7月6日以降、利害関係人として参加した紋別アイヌ協会という団体に対して、遺骨を返還する。返還場所は、現在、紋別アイヌ協会が、国道(建設)とかいろいろな関係で(地元で)出土しているアイヌ遺骨300体以上がとりあえず安置されている納骨堂があるんですが、そこに引き渡す、という和解になっています。そこまでの搬送費用はすべて北大が負担する。だから北大の負担で、遺骨を返してもらう。ただし、その後の再埋葬については、紋別アイヌ協会の責任および費用──費用というのはいろいろ考え方がありますが──どこに再埋葬するかも含めて、委ねる。北大はそれに対して口を出さない、という和解になっています。

基本的な骨子はそれだけで、(原告側が求めていた)慰謝料請求は放棄する、というふうに和解はまとまりました。

再埋葬費用について、なんで浦河町杵臼の場合(北大側が墓地への再埋葬費用を負担)と違うのか、と言いますと、紋別の遺骨4体はいずれも北大自身が発掘したものではなくて、第三者から北大が「寄託をされた」と、つまり提供を受けた遺骨ということなので、(墓地から直接)発掘したのが北大ではないので、再埋葬までは北大に要求しなかった、ということです。


記者

きょうの和解を受けて、今のお気持ちをお話しいただけますか。

畠山敏さん・原告

市川先生がいま言ったように、ほかの地区と(遺骨の持ち出され方が)違う、ちゅうのかな。「北大は寄託を受けた」ということで。ただ、私の気持ちとしては、こういう裁判を起こさなかったら、寄託を受けたものですら、北大は遺骨をアイヌに返してくれないのかなあと、ちょっとそのへんが北大に……。

私が今管理している遺骨っちゅうのは、平成元年と9年に2回合わせて320霊体、紋別の墓園に2坪くらいの建物を造ってもらって、そこに安置してあります。それを私が管理させていただいています。そこに(今回返還を受ける)4体を、来年7月6日以降、帰ってきたら、そこに安置をしたいと思っています。

いま(紋別)市とね。発掘されたところ(に再埋葬するの)がいいのか、協議中です。市に対しては、納骨堂ちゅうのか……その発掘されたところにね、祈念碑というのかな、そういう施設を作ってくださいということも、いま協議中です。市でもそういう動きに取り組んでくれています。


記者

ありがとうございます。「裁判を起こさなかったら返ってこない、寄託を受けたものですら返してくれないことに憤りを感じる」とのことでしたけれども、和解ということで、いったん終結した、終結と言いますか、区切りが付いたことについては、いかがでしょうか。

畠山敏さん

それは非常に、私どもにとっては、やはり七十数年、72~73年にわたって北大に安置されて、それがやはりふるさとに遺骨が帰ってくる。まあ……仏さんちゅうのか、遺骨も喜んでいると思います。

市川守弘弁護士

「七十数年」という点については、大学が(これらの遺骨の)保管を始めたのが1941年9月5日。だから戦前ですね。

畠山敏さん

私の生まれた年だ……。


記者

じゃあ差間さんからも……。

市川守弘弁護士

じゃあ先に浦幌の(和解協議)のことを説明したほうがいいですね。

浦幌の件は、和解条項としては、90%煮詰まっています。だから来年には当然(和解)成立の予定なんですけども、今まで64体の遺骨のうち1体を除いてがすべて「身元不明」ということだったんですけど、今回、13体が「身元が分かった」と。「身元が分かる資料」が発見、ていうか、北大が入手できた、ということになってるんです。ただ、その件に関しては、その資料をまず(原告側に)確認させて欲しいという要望を出していまして、その関係で、ちょっと和解(成立が)延びている理由になっています。北大は「それについて検討する」ということで、まだちゃんとした回答は出ていない状況です。

差間正樹さん・原告(浦幌事件)

私たちはそもそも、(北大が)地元から持っていった遺骨を、地元に返して欲しい、ということで、この裁判に参加いたしました。その裁判の進展の中で、北大のほうで、いろいろな資料に基づいて自分たちの研究の結果、こういった遺骨が北大の中に保存されている。ま、言葉を悪く言えば、動物の骨と一緒に陳列されていた。そういった状況の中で、いまだに研究の根本となっている野帳、フィールドノートですね、そういったものがいまだに提示されておりません。その中で、より詳しい情報を開示し、遺骨を返還して欲しいということで、現在協議が進んでいます。

今年中の和解は成立しないということで、来年に持ち越されはしましたが、私たちはできるだけ早く先祖の骨を埋葬したい。土に戻して、先祖に安らかな眠りについていただきたい。

ただ、そうは言っても、掘り出された経緯は全く……。私たちアイヌに対して差別があった、だからこうして盗掘のようにして持って行かれたと認識しております。もう一度言いますが、そういった遺骨たちが早く私たちの地元に帰ってきて、安心(あんじん)、安らかな眠りに入れるように、今後も支援者の方たち、市川弁護士をはじめとして、みなさんの支援をいただきながら、和解に向けて続けていきたいと思います。

私たちは(この裁判では)遺骨を持って行かれたことに対して、謝罪、賠償は要求しておりません。それは、くれぐれも、一日でも早く遺骨を安置したい、その思いがあるからです。こうして、来年に引き延ばされはしましたが、早く私たちの先祖の遺骨を地元に返してくれるように、がんばってまいります。みなさんのご支援をよろしくお願いします。


記者

畠山さん、遺骨が返ってくることに対する思いを、さらにうかがいたいんですけれども。

畠山敏さん

私の先祖は、湧別から幌内にかけての周辺を治めていた酋長の一人なんです。『津軽一統誌』によると。私の先祖について、あちこち調べました。その中に、明治の初めですかね、アイヌ名だったおじいちゃん、おばあちゃんが、和人の名前を名乗り始めているんですね。その人がたが(それまで)10カ所の村を治めていた酋長の息子か孫か、そういう人だったんじゃないかなと。

平成元年と9年と(開発計画地で実施された発掘調査によって)2回にわたって、遺骨が出た場所のことですが。私の記憶にあるのは、ヒコ祖母さんで、マツヨばあさんという、口(のまわり)を(アイヌプリの入れ墨で)染めたおばあさんのことです。このおばあさんからは、アイヌの歌や、先祖たちのことを、(私が)小学校5、6年生のころだと思うんですけど──だんだん記憶が薄れてきてるんだけど──いろいろな話を聞いていて。その思い、ちゅうんですかね。(たとえ血縁関係が薄くても)320霊体が全部、私の先祖だという認識でね。納骨堂で(追悼を)させてもらって。今回返還される4体もそれと同様に、一緒にまつってあげたいなと考えています。

記者

(返還予定の4体は)いずれも(名前や身元の)特定はできていない遺骨ですよね?

市川守弘弁護士

(持ち出されたのが)紋別市、とだけは分かっている遺骨です。紋別市には(かつて)モベツコタンという大きなコタンがあって、その隣にショコツコタンがありました。畠山さんの先祖はもともとモベツコタンのアイヌなので、この「紋別市内から出土」している4体は、間違いなくモベツコタンの構成員の遺骨。そこまでは言えるので、モベツコタンの構成員の子孫である畠山さんをはじめとする紋別アイヌ協会が、受け入れ主体としては最もふさわしいということですね。

記者

畠山さんは今後、来年の7月以降ですけども、受け入れ後のご供養のしかた、慰霊のしかたはどのようにしたいとお考えですか?

畠山敏さん

慰霊のしかたなんですがね。(浦河町)杵臼でやられたように、みなさん新聞報道など見てると思うんですが、(紋別のケースでは)この4体だけをそうする(再埋葬する)と(なると)……果たして(残る)320霊体、これもわれわれの先祖だという認識で、それらもすべて(再埋葬を)やるってったら、敷地だけでも相当の敷地が必要です。それだけの土地を紋別で確保できるかといったら、到底無理ではないかと。

アイヌの遺骨だからアイヌ式に、杵臼のようにやるのが本来だろうけども、今の私の孫祖父さん、孫祖母さん、それから私がたの父母は、アイヌ式でなくて、今の和人式っちゅうんですか、お墓の下に……。そういう方法で埋葬しているんです、うちらもね。だからそのへんもね、また……。

来年7月(に遺骨が返還されるの)は決定事項ですからね。(紋別アイヌ)協会の会員さんとも相談しながら、埋葬方法は検討したいと。

ただ、(紋別)市としての考え方ちゅうのは、いまの和人式っちゅうんですか……慰霊碑のことですがね、和人式で考えているようです。そのへんのアイヌ式なのか和人式なのか、春までにはね、決定しなくちゃいけないのかなという気持ちでおります。