日弁連人権擁護委員会への人権救済申立

日弁連人権擁護委員会への人権救済申立についての記者会見

(2015年1月30日、東京都千代田区内の司法記者クラブで)

日弁連人権擁護委員会への人権救済申立書(2015年1月30日)

2015年1月30日、申し立て後に東京都内で開かれた記者会見の様子。撮影・市川利美(北大開示文書研究会)。


市川守弘弁護士

きょう午前11時、申立人21名で、日本弁護士連合会の人権擁護委員会に対して、人権救済の申し立てをいたしました。申立人の21名中、アイヌの人は13名です。残りは和人ですけれども、申立人のアイヌの人たちを支援している人たちです。

申し立ての中身は、申し立て主旨文を配布しておりますが、昨年(2014年)6月、政府が閣議決定した、個人が特定されている23体を除く1600体を超える遺骨および、それ以外の515箱の人骨、これらを、オリンピックが開かれる年までに白老町に建設すると国が言っている、まあ一種のテーマパークなんですけれども、「アイヌと和人の共生のための象徴空間」という言い方をしていますが、ここに何らかの形で集約をするという決定が、アイヌの人たちの信教の自由を著しく侵害するということで、人権救済の申し立てに至りました。

背景としては、これらの遺骨のかなりの部分が、明治時代から、新しくは昭和40年代前半くらいまでの間に、研究者らによってアイヌ墓地から持ち去られた遺骨です。特に戦前における遺骨については、アイヌの人たちの承諾もなく持って行ったということが、昔からのアイヌの人たちの言い伝えでハッキリしているんですけれども、そういう遺骨について、持って行った場所に返還するように強く要望し、この申立人の中には、すでに札幌地方裁判所に遺骨を保管している北海道大学を相手に遺骨返還訴訟を起こしている原告も含まれています。

今回は「返せ」ということではなくて、アイヌに遺骨を返すことをより困難にするであろう白老に集中的に持っていってしまうことについて、いよいよ自分たちアイヌのやり方に則った慰霊ができなくなるということで、信教の自由・宗教の自由・宗教活動の自由を侵害するものである、ということで救済を申し立てしました。

北海道外の人にはなかなかこういう情報が伝わっていないので、なるべくみなさんの質問にお答えしたいと考えています。ただ、当事者がいらっしゃるので、今回の申し立てに至った思いを初めに述べていただいた後、みなさんからの質問を受けたいと思います。

まず、私の隣にいるのが差間さんです。差間さんから。


差間正樹さん

浦幌アイヌ協会会長の差間正樹です。よろしくお願いします。私たちは、地元から持っていかれたアイヌの骨を地元に返して欲しい。私たちは毎年、札幌の(各地のコタンで墓地を発掘して収集した1000体以上のアイヌ遺骨を保管している)北海道大学まで出掛けていって、イチャルパに参加しております。それは、私たちの先祖の骨を慰霊しなければならないという思いからです。しかし十勝の浦幌町からわざわざ(片道250㎞以上も離れた)札幌まで出掛けていって、イチャルパに参加する。これは経済的にも負担です。政府は白老の施設に遺骨を集約する予定だそうです。そうすると私たちは(さらに遠い)白老に出掛けてイチャルパに参加しなくてはなりません。はっきり言って、私たちにとってこれは苦痛です。私たちの土地から持っていった私たちの祖先の骨を返して欲しい。

それに対して、政府はいろいろな(返還請求の資格に関する)条件を付けておりますが、そんな条件は私たちは知らない。祭祀承継者に限って返すなんてことは、私たちは一切分からない。そもそも私たちのお墓から持っていった当時、そんなことに一切お構いなしに持っていったのは学者なんです。今になって「あなたは本当にその骨の直接の子孫ですか」「それを証明しなさい」だなんて。これは全く私たちをバカにした言い方です。私たちはこれを大きな民族差別だととらえています。

とにかく、慰霊にわざわざ札幌とか、今後は白老とか、出掛けたくはありません。私たちは地元で地元の骨を慰霊したい、その思いで裁判を起こしました。こうして東京のみなさんにお話しできる機会を与えてもらったことに非常に感謝しています。今後ともひとつよろしくお願いいたします。以上です。


市川守弘弁護士

長年この問題に取り組んできた「北大開示文書研究会」という団体があるんですが、これは北大が骨を集めた経過とかを調べるために、すべて情報の開示請求をして、それでもなかなか開示されなかったものですから、どうやって開示させるか、また出てきた文書をどう解読するかという活動をずっとやってきました。その共同代表で、今回の申立人でもある清水さんと殿平さんです。


清水裕二さん

清水といいます。私は、いま紹介がありました北大開示文書研究会の共同代表をしています。私自身は教育現場にいた人間なんですけど、当時、教育現場で、アイヌのことを語ること自体が(いつ差別やいじめにつながるのではないかと)恐い、という現実がありました。まさに私の職場、教員の世界の職員室が針のむしろという意識で、何とか定年まで勤務をまっとうできたという思いなんですが、ですから、お骨のことについても、その他の(人権侵害)問題についても、直接的にはこれまで行動を起こすことができませんでしたが、退職後、この問題に関わってきているアイヌの清水であります。

今回は特に、原告で、82歳になられる城野口ユリさんの思いを背負って、人権救済委員会に申し立てをさせていただきました。差間さんのお話にあったように、都会、東京、関東のみなさん方に、よりよき理解を求めて、そしてご支援いただきたいという思いがあったものですから、今日はこのようにみなさまに耳を貸していただきたい、という気持ちで座らせてもらっております。どうぞ調べていただきながら、報道していただき、一人残さずとはいいませんけれど、広く国民のみなさまがたに理解を求め、支援をくださるような、報道機関としてのご協力をお願いしたいと思います。以上です。


殿平喜彦さん

私は、清水さんと共同で北大開示文書研究会の共同代表を務めております殿平と申します。私は和人、アイヌではありません。この遺骨の問題に、私はかなり前から関心を払いながら、アイヌの人たちと調査をしてきた者です。

アイヌのエカシ(長老)で、今回はどうしても来られなかった原告のお一人に、小川隆吉さんがおられます。2008年、小川さんが北大に対して、(かつて大学が集めた人骨の台帳などの)関連文書の公開を求める開示請求をしたわけですよね。小川さんと私は昔から友人で、親しくさせていただいていたものですから、文書が出てきたから、一緒にこれを読んで、これからどうするかを一緒に考えようと言われて、それじゃあアイヌと和人と、その中には研究者の方とか、弁護士さんもいるし、ジャーナリストやら宗教者──牧師さんとか、私は浄土真宗というお寺の僧侶をしている住職ですけれども、そういう多様な人たちがこの研究会を構成したわけです。

北大が開示した文書をずっと読み続けていくと、小川隆吉さんもそうですし、いま清水さんがおっしゃった、浦河の城野口ユリさんというフチ(おばあちゃん)も、本当に直接自分の先祖のお骨を持って行かれていたことが分かりました。しかもね、ユリさんの場合、ユリさんのお母さんが死ぬ時に、ユリさんに「どうしても我慢できない」と。骨を掘られてそのままにされているし、一片の骨も戻ってきていない、と。「だから必ずこれを取り戻せ」と言って、彼女はユリさんに遺言をして亡くなったと言うんですね。ただ取り戻すだけではなくて、ちゃんと元通りにさせて、「罰金も取れ」と言って、ユリさんにそのことを強く遺言して亡くなられたそうです。ユリさんは「私はそれを必ず実現する」という強い思いで、怒りを本当に秘めておられる。(活動を通じて)そういう方に私たちは出会うことになったわけです。

原告であるアイヌの、直接自分の先祖の骨を持って行かれたまま取り戻すことができないでいる、その怒りに触れて、この問題を知らない顔をしたままで、アイヌと和人がともに生きていく社会なんて生まれるはずもありません。北海道が植民地であることを私たち(和人)はもう一回、改めて自分の過去の歴史を呼び覚ます必要があると思っています。

この問題を解決するためには、北大だけではなくて、全国の大学とともに、これは日本政府が深く関わってやったことですから、必ず政府もきっちりこのことは反省をしてですね、アイヌに謝罪をするべきだと僕は思っています。そうして自分たちの責任で、基本的に少なくともお骨をコタンに全部お返しすることが必要だと強く思っていて、そのためには可能な限りの努力をする責任が和人の側にあるというふうに、私は感じています。

人類学者たちは今なお、このお骨を使って研究をしたいと言っていて、私も何回か(人類学者の)講演で直接(その考えを)聞きました。お骨をアイヌに返すことは何が何でも我慢できないと、お骨はわれわれの研究対象としてどうじても必要なんだと、人類学者は強く主張していますけれども、あの人たちこそが、僕は、お骨を無断で掘り返したことに対してちゃんと反省すべきだというふうに思っています。そのことを申し上げたいと思っています。


市川守弘弁護士

質問をお受けしたいのですが、すみません、いまお話に出た城野口ユリさんと、小川隆吉さんという2人の原告の方たちですが、ご高齢で、入院もされていて、きょうはこの場所に来られなかったので、ビデオでメッセージを3分間ほどご覧ください。思いが伝わるかなと思いますので……。

最初が浦河町にある杵臼コタンの墓地です。穴を掘られた跡が小さい時にあったんだ、ということを城野口さんが言っていました。

次のは紋別市ですけれども、土地区画整理の時にアイヌ墓地を全部、発掘して持っていっちゃった。持って行った先は市営墓地ですけれども、もともとアイヌの人たちが埋葬していた土地をひっくり返した。紋別市内にはこのビデオとは別のところ、今回の訴訟で問題にしている別の場所から、かつて役場や小学校の建物を建てる時に(地下から)出てきた骨を北大に送っていて、それが今も大学にある。それを返せと言っています。

3つめは浦幌町の愛牛という地区です。ここでは北海道大学によって墓地から64体の骨が発掘され、持ち去られました。それが北大から返されていないということです。

その次の場面は、城野口さんが北大に「骨を返して欲しい」と話をしに行った時の映像です。そしたらガードマンが入り口に立ち塞がって入れてもらえなかった。出てきた事務官が「玄関先でならいい」と言って、「こんなお年寄りを座らせることもしないのか、椅子を持ってこい」と言い争いになっていた場面です。そうやって話し合いに行ったのに、けんもほろろな対応をされて、本当は訴えたくなかったけれど仕方なく訴えを起こしました、という城野口さんの言葉と、入院先の病院で、今回東京に来れなかったので「みなさん、頼みますね」というお願いの場面でした。

最後が小川隆吉さんで、「アイヌ納骨堂」という看板が出ていたと思いますけれど、北大はあの建物の中に「納骨」という形でアイヌの遺骨を大量に保管している。だけれど、誰もが自由に入れるわけでもありません。先ほど差間さんが「北大でイチャルパをやっている」、イチャルパは「慰霊祭」という意味ですけれど、そうおっしゃっていましたが、北大は国立大学法人で、政教分離原則が適用されるので、毎年8月に行なわれている北海道アイヌ協会主催の納骨堂前でのイチャルパは、「(アイヌが)勝手に駐車場に来て、勝手に(宗教行為を)やっている」という扱いになっています。宗教行為をやってください、やってもいいです、という体裁は北大は正式には一切とっていません。そういう場所に依然として骨が1100以上もある、という場所です。最後に隆吉さんの思いが述べられていました。

解説するとそういうビデオでした。時間を取ってすみません。そしたら、質問とか……


──幹事社のNHKから質問させていただきます。差間さんにおうかがいします。遺骨のおまつりのために札幌まで行かれるのが大変だというお話でしたが、それぞれの集落で、遺骨のない状態で慰霊行為をせざるを得ないことが、宗教上の権利を侵害しているというふうに(申立書に)書かれていますが、アイヌの方々の本来のやり方で慰霊行為ができないということへの思いを、改めてお聞かせください。

差間正樹さん

私どもの先祖は、そもそもお墓に行って、そこでお参りをするという習慣はなかったと聞いております。現在は和人と同じような生活をしており、私の父、祖父、そのあたりまでは(和人同様に)お墓を管理して、それで慰霊をしております。しかし私たちの先祖は、お墓にしばしば立ち寄っていると、先祖がお墓の中で落ちついて眠っておられない、そうすると、それは先祖を大事にしている行為とは言えないという考えなのです。そこで墓地に行ってお墓参りをする代わりに、ヌサ壇、慰霊のための施設、祭壇ですね、それを家のそばに作って、縁者が集まってそこで慰霊をする。大きな慰霊の催しであれば、コタンの長が(司祭となって)慰霊をする、そういったところもありますけれど、まあ一軒二軒集まったような状態で、その中で儀礼をする。われわれはそもそも先祖を非常に大事にします。そういう慰霊の時に捧げたものが先祖の世界に渡っていって、先祖たちの世界で先祖たちが豊かな生活をされる。その結果、先祖もまた大きなものを私たちに返してくれる。私たちはですね、こういった先祖と現在の私たちとの間で「やりとり」しながら生活するという精神世界を持っていると理解しております。遺骨そのものが私たちの土地からなくなった状態、それが放置されているという問題に対して、私たちは、そういった先祖を慰霊するという行為そのものが妨げられていると理解しております。

清水裕二さん

このご質問に関連して、基本的には差間さんがおっしゃったように、アイヌはお墓に参ることはない、ということは伝統的にそうだと思いますが、今日ここに来られなかった城野口ユリさんは少し違う言い方をしていたものですから、それをお伝えさせください。どんなことをおっしゃっているかというと、狩猟民族であるアイヌは、例えば若者がクマを捕りに(コタンを出て外へ)行くという場合には、必ず年寄りが──エカシと言いますけれど──エカシが「お前、お墓を見てこいよ、必ず調べてこいよ」というふうに指示をしていたそうです。若者は狩猟などのさいには必ずお墓に行って(動物に墓所が荒らされたりしていないかを)チェックして、コタンに戻ったらエカシにそのことを報告をしていたと。ですから一部の研究者が言うような、アイヌはお墓を放置しっぱなしにしているというようなことは全くありません。それ(アイヌは墓を放置するという説)を理由にして、いわば盗掘までされてしまったというのが、今回の人骨問題なんですね。アイヌがお墓をまったく顧みないとか、そういうことはなかったんだと、城野口さんは声を大にして知らせてこい、と私に言われましたので、そういう側面もあるんだということをご理解いただきたいと思います。


──遺骨返還訴訟を起こされた原告の方と、支援者の方が申し立てに加わっているとのことですが、訴訟原告の方は何名でしょうか。

市川守弘弁護士

遺骨返還訴訟は杵臼地区で3名、それから紋別地区で1名、浦幌地区で1団体──これは浦幌アイヌ協会です──、合わせて4名1団体が原告です。また本件申し立てでは、団体の参加はありません。全員個人です。このうち浦幌アイヌ協会会長の差間さんは個人としてこの申し立てに参加して、杵臼は3人の原告のうち、2人が申し立てに参加しています。それから紋別では原告1人が申し立てにも参加しています。ですから原告のうち4名が申し立てに参加しています。


──北海道新聞です。市川先生におうかがいしたいんですけど、今回の人権救済の申し立てという方法を選んだ理由と、今いただいた申立書の主旨文で「集約してはならない」という書き方をされていますけれど、「返して欲しい」という要望ではなくて「集約してはならない」とされたのはなぜだったのでしょう。

市川守弘弁護士

まず、「返してくれ」という場合は日本の裁判制度上、自分が返還を受ける権限を持っていないと、請求の当事者になれないんです。早い話が「浦幌の骨を返せ」という訴えを、仮に(浦幌に住んでいない)札幌のアイヌが起こしたとしても、(請求する権限がないとみなされて)却下されるんですよ。このように権限の問題があるので、訴訟では厳密に、歴史的な事実に基づいて「コタンに返還を受ける権限がある」という立場から、コタンの承継人、継承者、またはコタンの構成員の子孫が原告になっています。そこは厳格にコタンを中心に据えているわけです。

いっぽう今回のような人権救済申し立ては、たとえばあなたの人権が侵害されている時に(第三者である)私が救済を訴えることもできるのです。訴訟とは異なり、人権救済の申し立ては「あなたは無関係だから口を出せませんよ」という話ではなくて、世の中に重大な人権侵害の事実があれば、だれでもがそのことを指摘できる仕組みです。

そういう意味で、より幅広いアイヌの人たちが──コタンを離れ、散らばって住んでいる人も含めて──申立人になることができます。だからこそ「骨を返せ」ではなく、そもそも間違った前提に立っている政府の閣議決定を直ちに取り下げなさい、という申し立てにしました。


──朝日新聞です。差間さんと清水さんにお伺いしたいのですが、北海道大学やほかの大学に保管されている骨をご覧になって、どういうお気持ちでしょうか。

差間正樹さん

骨は今は、北大の敷地内にある納骨堂に納められております。アイヌの(復権)運動について、私自身が活動し始めたのは、平成4年ごろからなんです。それまで、人前でアイヌと言うことをね、しゃべるというのはやっぱりなかなかできない。親戚や縁者の人に迷惑をかけるんじゃないかとか、いろんな思いからです。ただその当時、こうした活動を始めて、北大にわれわれの先祖の骨が行っているということが分かって、イチャルパに参加し出したんですけれども、その当時は骨はプラスチックのケースに入れられていました。北海道ウタリ協会(現北海道アイヌ協会)の全道総会の場で発言を求めて、私はこう言いました。「工具箱じゃあるまいし、あの状態は何だ?」と。(納骨堂に隣接するビルの)クーラーの室外機がそばにあってブンブンうなっていて、アイヌのお祈りの言葉もなかなか聞き取れないような状態で行なわれていたんです。そのことを私は大声で叫びました。次の年に行ってみると、納骨堂の骨が全部、白木の箱に入れ直されていました。私たちが発言すると、それに対してまあ(北大は)反応はするようです。いま私たちが骨を返せって言って、今度はどう反応するのか。私たちの、その人骨に対する思いを、学者の人たちはいったいどう考えているのか。(人類学者らが引き続き人骨を研究したいという意向を示しているのを見ると)いまだに私たちの先祖に対して、単なる実験材料としか思っていないんじゃないか。そういった思いで遺骨を眺めておりました。言い出せばきりがない、私たちの先祖の遺骨に対しては本当にいくらしゃべってもきりがないほど思っているんですけど、これでとどめておきます。

清水裕二さん

北海道大学のアイヌ納骨堂におけるイチャルパ、昨年まで31回が行なわれていますけれど、私も10回目くらいから、年休を取ったりして参加していたんですね。その時にどんな思いだったかをお話ししますと、いま差間さんからお話があったように、お骨がプラスチックの箱に無造作に入れられていたわけです。それでなくても、人骨があるところ(納骨堂の中)に入るのに寒気を催すのに、体中がざわざわして、もう行きたくないという思いがありました。北海道ウタリ協会江別支部(現・江別アイヌ協会)の支部長を仰せつかっているものですから、欠席するわけにもいかず、出席し続けていたという経緯があります。いまは(お骨が)若干整理がされましてね、各地区ごとに何体、と箱に入れておかれるようになったんですけれど。

無造作に入れていたのを2012年前後に整理してみたら(人数が)倍以上になったわけです。それでアイヌ納骨堂は倍の面積に増築されました。そういう状況にありますけれど、気持ちの上では依然として、お話にあったように学者のみなさん方の倫理観ていうのかな、いったいどこにあるんだと。人間なのかよ! という思いが強く、いまだに思っています。特に城野口ユリさんの思いからすると、(ユリさんは)「アイヌは死んでからもバカにされるのか、ふざけるな!」と某解剖学者に対して怒鳴ったこともありますけれどね、許せない思いでいます。

差間正樹さん

北大の学者が、私たちの骨に対してどんな研究をしていたのか知りたいと思って、仕事の合間に図書館に行って、帯広市立図書館の2階の郷土資料室に入っていって、その先生たちの書いた本を読ませていただきました。「死者の頭骨に穴を開ける風習をもつ民族がいる」と書いてありました(児玉『アイヌの頭蓋骨に於ける人為的損傷の研究』1939年など)。もう、怒りが頂点に達しました。何を馬鹿なことを言っているのか。(児玉らが)頭骨だけを集めたのかと思っていたら、(近年)いろいろ学者先生たちが(保管されている遺骨を)調べ直したんだと思いますが、四肢骨、手足の骨も出てきた。それもたくさんの数が出てきた。いったい最初にどうやって、私たちの先祖の骨を管理していたんだろう。そんな思いで一杯です。

市川守弘弁護士

つけ加えますね。(頭骨に)穴が開いていた、というのは、実はネズミによる(埋葬遺体の)食害痕で、見ればすぐ分かるんですけど、当時は敢えてそういう論文が書かれていたということです。(アイヌ人骨を収集した解剖学者らは)基本的には頭蓋骨を研究しています。頭蓋骨の構造、神経が通る穴がどうなっているかとか、そんな研究はしていたようで、論文になっています。だから(解剖学者らは)頭蓋骨さえ集めればいい。(墓を掘って集めたために)たまたま他の四肢骨も出てきたので持っていったと、そんな感じですね。だからダンボール箱に515箱分も箱詰めになっている、そういう状況です。


──東京新聞です。申し立ての主旨に絡めておうかがいしたいのですが、去年の閣議決定で遺骨を集約すると決めたことが民族差別だという部分について、(アイヌが)どのように受け止めたのか、(政府は)言葉としては「友好を図る」とかですね、理由をつけていると思うのですけれど、それをどう受け止められたのか。現実にそうやって集約されることがみなさんにとって、どう怒りをお感じになっているのかをお伺いしたい。そもそも前提として、持って行っちゃったものを返せというのは当然の主張だと思うのですが、そのうえで今回「2020年までに集約される」ということについて、率直にいまどう思われてこの申し立てをされたのかを知りたいです。

清水裕二さん

昨年6月13日ですか、閣議決定が出ましたね。翌日の新聞、私は「朝日新聞」を読んでいたんですけれど、ガイドラインとやらが出ましたと。これを見て、私はものすごい怒りを感じたんですね。つまり申立書でも言っているように、掘り起こした地域が分かっているお骨はその地域に返してください、というのがアイヌの願いなのに、ガイドラインには(個人が特定されている)23体以外は「象徴空間」に──象徴って……私の口から言わせたら象徴という自体が許せないです──そこに集約しちゃうと。このこと自体がまさに人権蹂躙だと思うんですけどね。そういうことを平然とやる今の政府に対しても、本当に、何というか、道徳観というか、そういうものが一体どこにあって進めているんだよというふうにすら思いますね。アイヌ政策推進会議という国の会議に、アイヌの代表とされる人たちがいるんですけれども、こんな結論を導き出されて、もし会議のアイヌ委員が積極的に賛成したんだとすれば、アイヌがアイヌを売ったことになるんじゃないでしょうか。厳しい言い方になりますけれど、そうとすら私は思いながら、怒りをもって受け止めたガイドラインでした。簡単に言うと、あれは返還ガイドラインではなくて「返還しないためのガイドライン」だと、あえて強く申し上げます。

差間正樹さん

そもそも私たちの先祖の遺骨を盗掘、ドロボウですね、収集したのは学者たちです。私たちはそのことを糾弾しているのです。集約施設に集められてしまうと、その責任があいまいにされてしまうんじゃないか。この話が出てきて、私は本当に焦りました。(現代の)学者たちは自分たちの先輩がやったことをウヤムヤにしておいて、それを政府に預けてしまう。一部のアイヌの団体はそのことを了解してしまう。それによって、だれがこの骨を集めていったのか、だれが関与していたのか、その部分の責任を置き去りにして、新しい施設に預けられてしまうなんて、私たちにとっては本当に我慢のならないことです。私たちの先祖がまたまた研究資料に供されてしまう。そういった恐れを私は抱いています。

市川守弘弁護士

ちょっと私から。「思い」ではありませんが、整理するとですね、「23体の個人が特定されている遺骨については返す」といいながら、ガイドラインではこう言っています。〈特定遺骨等の返還を希望する者は、関係大学に対して、当該大学の定める書類に、自己が祭祀承継者であることを示す書類(家系図、戸籍・除籍謄本等)を付して、特定遺骨等の返還を申請するものとする〉。これ、分かります? 自分が祭祀承継者であることを証明しなさい、と言っています。それをまず清水さんがお怒りになっていました。勝手に持って行っておいて、返す段になったら「お前は祭祀承継者か?」と言うんですから。

しかもこれらの書類(家系図、戸籍・除籍謄本等)では祭祀承継者の証明は不可能です。なぜかというと、戦前は家督相続したかどうかで祭祀承継者がだれかが決まりましたが、戦後は、相続人間で遺産協議なり祭祀承継者を定める合意をしない限り決まらないんです。戸籍謄本だけ持っていっても、戦後に亡くなった方については祭祀継承者は分からないんですよね。大学による墓地発掘は戦後も行なわれていますから、それらの遺骨の祭祀承継者はこれらの書類では証明できません。

それから、申立書にも書きましたが、江戸時代の遺骨が202体かな、あるんです。旧民法制定(1896年)以前には祭祀承継者という概念すらない。それなのに江戸時代の骨の祭祀承継者であることを証明しろと、国はアイヌの人たちに求めているわけです。これが1つ大きな問題だと言えます。

それから2つ目は、返還すべき相手に返そうとしていないことです。原告の人たちは北大に対して、持ち去った骨をコタン──地域集団に返しなさい、という請求をしています。どこから発掘したか、場所は全部分かっているんだから、現在のその地域の地域集団のアイヌたちに返しなさい、という主張です。でもそれを返そうとしない。

3つめは、なぜ返そうとしないのかに絡むんですが、研究をしたい。これは(裁判所に)証拠として提出して、申立書にも書きましたが、(内閣府のアイヌ政策推進会議が設けた)象徴空間作業部会というところが「(集約した遺骨を利用して)将来の研究が可能となるようにする」と明記しているんです。かつてのような形質人類学ではなくて、今度は遺伝子研究です。ミトコンドリアDNAを比較する。人類の大移動のなかで、日本列島にいつごろどういう形で人類が移動してきたのか、それをアイヌの古い遺骨によって解明したいと。再び研究材料にされるんだという危機感があります。

以上の3つの点から、国家による差別をアイヌのみなさんは感じているし、法律上もかなり違法なことをやろうとしているし、それは憲法に違反するだろう、という申し立てになっています。


──共同通信です。この問題に関連の民事訴訟は、いまどこの地裁でどういうふうに進んでいますか。

市川守弘弁護士

札幌地裁にかかっています。3件あって、追加、追加で併合審査の形です。一番最初の提訴は2012年9月14日付けです。2年半……。被告は北海道大学。


──集約の差し止めという主旨の訴訟は?

市川守弘弁護士

今のところやっていません。なぜかというと、当事者適格をもう一度洗いざらいしなければならないということ。それにまだ施設、テーマパークもできていないですから、それほど切羽詰まっていないので。


──憲法判断を仰ぐ訴訟を起こす考えはありませんか?

市川守弘弁護士

えっと、どこに? 裁判所に?

──国を相手に訴訟して、憲法判断を仰ぐとか……?

市川守弘弁護士

それはね、日本の司法というのが、具体的な争いがあるなかで憲法の問題が出てくるならいいんだけれども、いきなり憲法判断をすることはできないよ、というのが建前なんです。ドイツはできるんですよね……憲法裁判所っていうのがあるから。


──朝日新聞です。差間さん、実際に骨をご覧になった時に、骨がこう思っているんじゃないかとお感じになったと思うんですが、それについて教えてもらえないでしょうか。

差間正樹さん

この人権救済の申し立てや、札幌地裁への訴訟の対象ではないのですけれど、札幌医科大学にも骨が保管されていまして、そこは私たちと話し合いの中で返してくれるという方向です。そこで骨を見た時に「ああ、これはすぐに(元の場所に)返してあげたい」「何とか地元で安らかに眠って欲しい」という気持ちになりました。北大の遺骨に関しては、実は私は見ておりません。全部箱の中に入った状態でしか見ておりません。


──お二人にお伺いしたいのですが、今回、政府がアイヌの気持ちをちゃんとくみ取った上でガイドラインを作ったかどうか、という点について、ご感想と、政府は今後どういう形でアイヌの意見を聞くべきなのか、ご見解を教えていただけますか。

差間正樹さん

日本政府は、国連の場に出て行っていると思うんです。「先住民族の権利に関する国連宣言」、またはILO169号とか、日本(のアイヌに対するふるまい)は世界の目の前に晒されているはずなんです。でもそれがどこで行なわれているのか、国内の私たちは全然分からない。もしかしたら世界に向かっている時の日本政府と、私たち(アイヌ)に対する日本政府は違うものじゃないかという思いを私はずっと持っています。正当な権利を持った先住民族として私たちに向き合って、もう少し、ものごとを決める前に私たちの意見を取りあげて欲しいという思いでおります。

清水裕二さん

極めて重要なことを聞かれたんですけれどね。日本政府がガイドラインを出した経緯を知って、アイヌの思いを汲んでいるとはいささかも思わなかったわけです。「返せばいいんだろう」と。冗談じゃない。単に返せばいいという、そういう問題じゃないんだよ、本当は。そういう(政府の)姿勢をありありと感じとりました。

いま何年経ったのかな、俗にアイヌ文化振興法といいますけどね、それが出来ましたけど、この法律は文化振興に特化されていましてね。いま私たちが訴えようとしているのは、先住民族としての主権を求めたものです。主権を求めなくてはいけないわけですよ。そうでなければ何一つ解決しないはずなんです。そのためにアイヌ民族法等の制定も必要なはずなんですけど、そういうことには一切触れようとしていないのが日本政府の実態ですよ。

われわれ、海外の先住民族との交流をするために、あるところ(公益財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構)に(助成支援の)申請をしようと思いまして、アイヌ民族の自立を考えていこうというふうにしたら、「自立」という言葉が引っかかって、一切ダメになりました。つまり文化だけに特化して、アイヌを文化だけに押し込めておくのが日本政府のやり方であって、(アイヌ政策推進会議の中でも)先住民族としての権利云々については何一つ主張されていない。

私も、数多くはないですけれど、北欧のサーミの方々と懇談したり、ペルーでの世界先住民族教育会議(2011年)でお会いした先住民族のみなさんに会ったりして、ペルー隣国のボリビアではモラレス大統領政権下で3年間に3つも民族大学を創設したとか、そういうことを聞きましたが、日本政府は1ミリたりともそんなことを考えていないでしょう。本当にアイヌのことを思っての行政をやっているとは、いささかも思わない、というのが私の実感です。

木幡寛さん

今のことで、私に発言させて欲しいんだけど。私も長年、世界の先住民族を見て勉強してきましたけど、日本のレベルは要するに、世界から百年遅れていると言われているくらいですからね。内閣府のアイヌ政策推進会議があるんですけれど、もう9年? 経っても何ら、アイヌ復権の対策が進んでいないっていうことが、要するに国は何も考えていないっていう。これ大事なことなんですよ。国連の(先住民族の権利に関する宣言)がどうとかという前に、和人のみなさんが協力してくださって、ともに立ち上がって、闘っていくしかない。そのことだけは明確に言っておかないと。つまりみなさんのお力もお借りしていかないとならないことは事実なんで。そのへんをよくお考えの上、ご協力をお願いしたいと思います。

市川守弘弁護士

先ほどの質問で、政府が閣議決定したガイドラインにアイヌの人たちの意志が反映されているのかどうか、という点ですが、現段階で、内閣府のアイヌ政策推進会議の作業部会が設けられていて、そこにはアイヌの人たちが何人か入っています。北海道アイヌ協会の理事長、あるいは副理事長は入っています。しかしそれだからといって、閣議決定に基づくガイドラインに、アイヌの人たちの意向が反映されているとは言えません。それは別問題です。

なぜならば第1に、公益社団法人北海道アイヌ協会は任意団体です。組織率が問題になりますけれど、15~16%だと言う人もいれば、せいぜい30%と言う人もいます。つまり、組織率がどれだけか不明な任意団体であるということ。

第2に、本来はこれを一番やらなくてはいけないのですが、(墓地発掘被害を受けた)全道各地で(この問題についての)公聴会をちゃんと開いて、隅々の意見を聞き取るという手続きが、法の下の平等の原則からいえば、要求されるはずです。(ガイドラインを定めるさいに公聴会を義務づけるような)そういう法律はないけれども、これは内閣ですから、行政手続きとして可能なわけですよね。コタンがあった地域、大学が骨を持っていった地域で、公聴会を開くことは。そういうところで、実際に骨を持って行かれた人たちの意見を聞くことが求められているにもかかわらず、かかる手続きを取っていない。

この2点からすれば、アイヌの人たちの意向を汲み取った閣議決定・ガイドラインであるとは、到底言えないであろう、と私は考えております。

差間正樹さん

北海道アイヌ協会の組織率についてちょっと地元の例を出してみます。私たちの浦幌アイヌ協会は現在、19名で組織されています。ここから先が問題なんですけれど、じゃあどれくらいのアイヌが私たちの地区に住んでいるのか。120世帯はまだつかまえておりません。でも80世帯から90世帯は確実に把握しています。しかしこれは重大な問題でありまして、地元で生活する中で、「おい、お前アイヌだろう」という問いかけですよ。相手に子どもがいたらこれは、相手は(アイヌと認めたら差別され、子どもがいじめを受けるのではないかと怯えて)何て言うか……。そこらへんを考えながら私たちは自分たちの活動がどうあるべきか、いつも悩んで、現在は「私はアイヌです」と自分で(積極的に)いう人と一緒に活動をしております。

でもですね、アイヌ料理講座やアイヌ刺繍講座など、いろいろ行事を組みながら活動しているんですけれど、たまに「私は△△の子どもですよ」「私は○○の兄弟ですよ」と申し出て来られる人もいます。ただ、私が「ああそうか、元気かい? じゃあ(協会に)おいでよ」と言っても、なかなか(自分がアイヌだとは)言えないんです。相手も、入会はできないけど私にそう言って話しかけてくれます。そういった状況の中で私たちは、民族って何なのか、子どもの時から「何でこんな差別をされなければならないのか」と悩みながら活動しているんですけれど。

全道組織である北海道アイヌ協会の理事者の中には「札幌周辺だけでも30万人のアイヌがいる」と述べる方もいるんですよ。もしそうなら北海道アイヌ協会の会員数3000人あまりの数字と比べたら、組織率は……。北海道アイヌ協会自体もそういった問題を抱えながら活動していると思います。私自身は北海道アイヌ協会に属して、役員をやっています。自分が入会している協会のことを正面切って非難する気にもなかなかなれなくて悩んでおります。

ただ今回の動きは、北海道アイヌ協会の活動方針とははっきりと違った動きです。私自身、覚悟しての活動ですが、こういった動きを(北海道アイヌ協会の)ほかの理事者たちも注目しています。私たちの組織は、いま市川先生からもお話があったように、本当にアイヌを代表する組織なのか。全道でさまざまな問題を抱えてさまざまに活動しているアイヌを、私たちの組織はいったい代表しているのか。そんな疑問を投げかけている人たちが、今ここに来ていない中にもいっぱいいます。そういう人たちの思いも含めて、この人権救済の申し立てや、遺骨返還請求の裁判を通じて、そういう問題を抱えながら暮らしている全道や関東の人たちに対して、一石を投じたい。私たちの動きが、彼らの背中を押す。そういったことになればと思っております。


──TBSラジオです。みなさんは北海道から来られたわけですけれど、今回の申し立てに参加したり協力したりされている中に、首都圏に住んでおられるアイヌの方たちはいらっしゃるんでしょうか。それともそういう協力はないんでしょうか。お墓は北海道にあるものですから、首都圏の人は言ってみれば自分たちのお墓から離れてしまっているわけで、そうすると返還を求める権利はない、ということになるのでしょうか。

市川守弘弁護士

はい、別にそういう(首都圏在住のアイヌに返還を求める権利がないという)ことはありません。遠いので、なかなか声かけができていませんが、関東には関東ウタリ会がありますし、例えば今日の夜、学習会をするんですが、大勢の方が来ていただけると聞いています。首都圏、名古屋、大阪にもアイヌの方がたくさんおられます。その人たちのふるさと、コタンにとって、その方たちは構成員の子孫なわけですから、やっぱり骨については重大な利害関係を持っているし、その地域、コタンの再生についても大きな原動力になる方々だと思っています。ただ、今までなかなか連絡とか、道内でもなかなか広がっていないので、今後はおっしゃるような形で日本各地にいるアイヌの方々、沖縄にもいらっしゃるんですよね、一緒になってやっていきたいと、私自身は思っていますし、たぶんみなさん方も同じではないかと思います。

(当日の録音を再録)