北大開示文書とは?
欧米を中心に「人種学」が隆盛を極めた時代背景のもと、1880年代から1960年代にかけて、日本の人類学者・解剖学者らが、植民地の北海道や樺太島(現在のロシア・サハリン地方)などで、アイヌ民族の墓地を発掘するなどして大勢の遺骨を集めました。骨を研究標本として研究室に持ち帰り、測定によって〝アイヌ人種〟の特徴を見出そうとしました。そのさい、遺族の了解なしに発掘がおこなわれたケースや、副葬品(宝石など)が持ち去られたケースも少なくなかったようです。
当時のおもな研究者に、小金井良精・東京帝国大学医科大学教授(1858-1944)、清野謙次・京都帝国大学医学部教授(1885-1955)、児玉作左衛門・北海道大学医学部教授(1895-1970)らがいます。
北海道大学医学部では、そのように収集した大量の遺骨を、長年にわたって動物実験施設内などに放置していたことが、1980年代に発覚しました。遺族や北海道ウタリ協会(現・北海道アイヌ協会)の抗議を受けた大学は、35人分の遺骨を遺族に返還し、構内に「アイヌ納骨堂」を新設し、残る929人分の遺骨を安置し直しました。
しかし、発掘の詳しい実態や、無くなった副葬品の行方などが不明のままでした。そこでアイヌ民族のエカシ(長老)、小川隆吉さん(1935-)が2008年、北海道大学に対して関連資料の開示を請求しました。北海道大学は同年、計36点の文書資料を開示しました。
北海道大学が開示した資料のなかには、児玉作左衛門教授が担当していた「医学部解剖学第二講座」によるリスト「アイヌ民族人体骨発掘台帳(写)」(作成年不明)など、初めておおやけになった資料が含まれています。エカシを支援する「北大開示文書研究会」が、当時の研究報告書などとも合わせて精査したところ、資料ごとに、遺骨人数や副葬品数、現在の保管状況などに多くの矛盾点が見つかりました。(2010年11月記)
経緯の解明と、責任の明確化を求める世論に押されるように、北海道大学は2013年、「北海道大学医学部アイヌ人骨収蔵経緯に関する調査報告書」(2018年に追録)を公表しました。被害コタンの末裔らに遺骨返還請求訴訟を起こされた同大学は2016年以降、浦河町杵臼コタン、紋別市不明出土地、浦幌町愛牛コタン、旭川市不明出土地などから持ち出した遺骨・副葬品を地元のアイヌ団体に返還しました。しかし公式の謝罪や賠償は実現しておらず、北海道大学は、返還のメドの立たない大勢のアイヌの遺骨を2019年11月、国立施設「民族共生象徴空間」(白老町)の「慰霊施設」に移送しました。(2020年6月追記)