北大開示文書研究会のシンポジウム・出前講座

アイヌの遺骨はコタンの土へ 歴史的な再埋葬を語る集い

報告1 「遺骨を迎えたコタンの末裔の思い」

高月勉さん

高月勉 コタンの会事務局長

 おばんでございます。新ひだか町静内から参りました、高月と申します。私は、コタンの会初代事務局長をさせていただいています。よろしくお願いいたします。

 今回、再埋葬につきまして、私は初めての大きな経験をさしていただいたんですよね。いろんな行事、たとえばみなさんよくご存じのシャクシャイン祭りとか、いろんなアイヌの行事があるんですが、私たちは何気なく平気で、アイヌ料理というんですか、それを口にしてる。おいしいとか、おいしくないとか、口に運んでました。

 ところが今回、静内町に主な会員メンバーがいるんですが、そのなかで、静内町で今回の料理、たとえばコンブシトだとか、ラタシケップ、そういうものをちゃんとしてくれないか、それとトノト、お酒ですね、ていうことになりまして。急遽、私が担当なものですから、走り回って……。

 静内の会員の中には、経験者がいるんですが、残念ながら作っている人はいないということで、協力者を募らなければいけないってことで、走りまくりました。材料から始め、いろんなことをしながら準備したんですよね。材料を買いに行くんですが、自分がトンチンカンなもんですから、失敗を繰り返しながら買い集め、担当していただく方に拝み込んで、何とか作っていただいたという経過でした。

 時間がどんどん切羽つまってきたものですから、私自身も行って手伝いましょうということで、暑い中で……。コンブシトっていうんですよね。昆布をすりつぶして団子に美味しく作るものなんですが、昆布を油で炒めるんですね。熱いうちに昆布をみじんにして、スリ鉢で砕くんです。それを僕がやりました。大変でした。

 結局そういうふうにね、裏方の人たちの苦労を私たち、(ふだんは)あまり顧みなかったんですよね。実際、料理を作る時には必ずそういう裏方が大事なんだということを、身をもって感じました。そういった点では、またすごく良い収獲だったかなと思っております。

 お酒につきましても、静内から杵臼まで運ぶっていうことは、3日くらいで発酵するんですが、ちょうど暑い盛りですから、クルマで運ぶのも大変なんですよね。クルマで揺られますとさらに発酵度が高まって、杵臼で行事する段階で爆発するんでないかという心配もありまして、急遽、氷屋さんからブロックの氷を買ったり、ホーマックに行って、大きな入れ物で冷やすようにしたりで、大変な目に遭いました。

 だけど、料理を作ってくれている女性の方なんですけど、その話を持ち込んだ時に、「私自身も何かザワザワするものを感じる」と。それが何だったかって言うと、コタン、つまり杵臼に遺骨が帰ってくる、その行事に自分が参加できる。自分の作った料理を、遺骨の前の祭壇に飾ることができたことに対するものを感じた、という女性の方がいました。実際、杵臼の会館に遺骨が帰ってきた段階で、そのごちそうを並べて、イチャルパを行なって、遺骨の前に座っている時に、「遺骨から『ありがとう』という声を感じた」と言うんですね。「まさにそれが私の使命だったんだ」というふうにその方は語っておりました。

 そのように感じた時に、やはり同胞に対する……コタンの会の清水会長がおっしゃってましたが、やはり同胞の威厳、尊厳、それに対して敬意を表する行事をやりたい、ということを粛々と進めてきたんですが、まさにこういうことなんだな、と、私自身も感じました。

 そして多くの方々からいろんな協力をいただく中で、無事、3日間を過ごせたことに対し、私自身も今後のコタンの活動について、学ぶべきことがあったと感じております。

 先週、静内町におきましても、遺骨が北大に170体──200体弱かな──の遺骨が持っていかれてると。いわゆる盗掘されて、しかし(表面上は)「合法的に」……、ということもありましたので、それに対する報告会もやりました。あくまでも静内町史に載っているものですけれども、それに基づいて短い時間でしたが、報告学習会を行ないました。それについては今後、地元のアイヌ協会の方の協力も得ながら、もちろん町民の方の協力も得ながらね、進めて行かなければいけない。実態解明というんですか、なぜそのようなことになったのかと。当然、町行政、静内町なら静内町のね、行政担当者も黙認していたと。北大が持ってくことに対して。ある意味「合法的」に。それに対して、町民は何も逆らうものはいなかった。当然、それに関係するウタリ協会とか、現在は改名してアイヌ協会になっているんですが、その方たちについても、おそらく「そのことは口にしない」という流れがあったんですね。それを今回、このような形で学習会をやるっちゅうことは、「なんだ」「寝た子を起こすな」という批判の声もいっぱい聞かされました。「お前がなぜしゃべるんだ?」とも聞かされました。

 だけど私たちは「コタンの会」を結成した。ちょうど去年(2015年)の12月20日過ぎですか。急遽、北大からの和解交渉の中で、遺骨の受け入れ団体を作ることになりまして、総会準備会が行なわれ、総会を行ないまして、「コタンの会」という名前を付けて、発足したものです。そういう経過の中で、これからも遺骨を含め、アイヌ人権、そういうものを回復するための運動の母体となろうということで、現在進めてきた結果が、再埋葬という今回の大きな事業だったのかな、と感じております。

 ここに至るまでに、北大開示文書研究会、もちろん多くの協力者もいますけど、市川弁護士をはじめ弁護団の方々の尽力によりましてこれが達成できたということに対して、私たち「コタンの会」も大いに感謝しながら、これからも運動を進めるために努力していきたいと考えております。よろしくお願いいたします。ありがとうございました。(拍手)

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