アイヌ遺骨の研究利用をめぐって

2018年5月14日

独立行政法人国立科学博物館
館 長 林 良博 様

国立大学法人山梨大学
学 長 島田眞路 様

北大開示文書研究会 共同代表 清水裕二
  殿平善彦
遺骨返還訴訟原告 小川隆吉
コタンの会 神谷広道
平取アイヌ協会員 木村二三夫
コタンの会副代表 山崎良雄
  葛野次雄
コタンの会事務局長 高月 勉
紋別アイヌ協会長 畠山 敏

質 問 状

わたくしたちは明治期から戦後に至るまで、東京大学、京都大学、北海道大学をはじめとした全国の大学などの研究者がアイヌ墓地を発掘し、遺骨と副葬品を持ち去った事実を調査し、大学等に持ち去られたままのアイヌ人骨と副葬品の、発掘地のコタンへの返還を求め、かかる行為を行った関係者、機関の責任と謝罪を求めてきました。

大学等の人類学者などが研究のためなどと称してアイヌ人骨を持ち去ったことはアイヌ民族への植民地主義的な差別と抑圧の産物であり、先住民族であるアイヌが自らの宗教的方法で先祖を祀る信教の自由を奪い、先住権としての自己決定権を奪うものであります。

2007年に採択された「先住民族の権利に関する国連宣言(UNDRIP)」は12条おいて、奪われた遺骨の先住民への返還を求めており、2008年には国会において「アイヌを先住民族とすることを求める決議」が成立したことは周知のことであります。2016年からは遺骨返還訴訟によって持ち去られた遺骨のコタンの墓地への返還が進みつつあります。

2010年から国立科学博物館副館長人類研究部・篠田謙一氏および山梨大学医学部法医学講座教授・安達登氏両氏は札幌医科大学に保管されている115体のアイヌ人骨を利用して、発掘されたコタンの構成員であるアイヌの承諾を得ずにミトコンドリアDNA研究を実施し、その後、その成果を研究論文として公表しています。

https://onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1002/ajpa.23338

2017年5月16日、私たちは札幌医科大学にその事実関係確認のために質問状を提出し、その後札幌医科大学より回答を得ました。その結果に基づき札幌医科大学に遺骨返還の要望書を提出しております。

2018年1月26日、コタンの会と浦幌アイヌ協会は北海道知事と札幌医科大学を被告として、当該地域のコタンの墓地から持ち去られたアイヌ人骨の返還を求めて札幌地方裁判所に提訴しました。

裁判は進行中ですが、今日に至る中で様々な事実が判明し、篠田氏、安達氏が行ったDNAサンプルの採取と研究活動に関して、看過できないとの思いを持つに至りました。ここに質問状を国立科学博物館および山梨大学あて提出するものであります。両機関におかれましては、早急に事態を精査のうえ、可及的速やかに誠意ある回答をくださるようお願い申し上げます。


①篠田謙一氏、安達登氏らは2010年から札幌医科大学に保管されているアイヌ人骨115体からミトコンドリアDNAを検出し、研究活動を行いました。
 
使用された遺骨の発掘場所は浦河町、伊達市、泊村、寿都町、斜里町、平取町、虻田町、礼文町、長万部町、室蘭市、名寄市、八雲町、阿寒町、千歳市、紋別市、新冠町、苫小牧市、神恵内村、島牧村、北檜山町、稚内市、共和町、常呂町にわたります。アイヌの死者たるアイヌ人骨はアイヌの伝統的葬送儀礼によってコタンの墓地に埋葬されるのが基本であり、そのコタンに住むアイヌが埋葬し保持してきた遺骨であり、遺骨の所有権は当該コタンの構成員であるアイヌにあることは言を俟ちません。研究に使用された115体の遺骨はさまざまな理由によって発掘されたと思われますが、理由の如何にかかわらず、発掘後も遺骨の所有権が当該コタンの構成員、あるいはその末裔たるアイヌにあることは明白であります。篠田、安達両氏は115体のアイヌ人骨からDNAを検出するに当たり、コタンの構成員たるアイヌの承諾をとる必要があったと考えられますが、両氏は承諾を得ることなくDNA検出を行いました。貴研究機関の研究倫理規定に悖る研究と言わざるを得ないと思われます。

両氏は研究に先立ち北海道アイヌ協会と協議し合意したということがあるなら、北海道アイヌ協会は任意の道内のアイヌの集まりであって、遺骨が発掘されたコタンの構成員とは無関係であります。北海道アイヌ協会に発掘されたコタンのアイヌの遺骨研究を認める権限はありません。したがって、遺骨が発掘されたコタンのアイヌの承諾を得たことにはなりません。研究者が所属する研究機関は遺骨の誤った研究使用について、検証し、責任を明らかにすべきではありませんか。


②篠田、安達両氏が研究に使用した115体のアイヌ人骨の内、32体の遺骨は北海道浦河郡浦河町東栄のアイヌ墓地から発掘された遺骨であります。

2018年1月26日、日高出身あるいは在住するアイヌによって構成されるコタンの会(代表・清水裕二)は東栄墓地から発掘された35箱の遺骨の返還を求めて、北海道知事高橋はるみ、札幌医科大学学長塚本泰司両氏を被告として札幌地方裁判所に提訴しました。コタンの会は遺骨返還を受ける集団として札幌地裁より認定されたアイヌ集団であります。現在、裁判は進行中ですが、非常に残念なことは、32体の遺骨が篠田、安達両氏の研究過程でDNAサンプル採取のため損傷を受けたと考えられることです。アイヌにとって、先祖の遺骨が傷つけられたことは、先祖への冒涜ともいわねばならず、人間の命の尊厳を無視した研究倫理上、大きな問題であると言わねばなりません。研究者並びに両機関は破壊を受けたアイヌ遺骨に対して、いかなる責任を表明されるのでしょうか。


③浦河町東栄の東栄遺跡発掘は1962年5月から6月にかけて実施されましたが、発掘は浦河町教育委員会によって行われ、発掘のイニシャチブは札幌医科大教授と静内高校教諭が担いました。土器と石器、アイヌ人骨とみなされる遺骨35体並びに若干の副葬品が発掘されました。

発掘当時、発掘結果が文化財保護委員会に報告され、埋蔵文化財として認定を受け、北海道教育委員会が管理するところとなり、発掘された土器と石器は浦河町が保管し、遺骨は札幌医科大学が保管してきました。

浦町教育委員会発行の「浦河の遺跡」(1969年3月発行)によると、発掘が行われた東栄遺跡について「東栄第1地点遺跡」として説明され、東栄墓地は「明治以降、付近に住むアイヌの墓地として使用されていた。昭和37年4月、札幌医大と共同で発掘調査を行った。(中略)アイヌ墓地は明治以後のもので、昭和16年~20年にかけこの辺一帯を迎撃用演習地として使用した旧陸軍が塹壕を築構するために発起(ママ)して移葬したため、遺構及び墓地は殆どが壊され、一部の墓地が残されているに過ぎなかった」と報告しています。

この報告書を読む限り、アイヌ遺骨は明治以後の近代になってから埋葬された遺骨であることがわかります。しかるに、篠田、安達両氏が研究に利用した東栄遺跡発掘とされている遺骨32体は、時代はすべて江戸時代となっています。私どもは遺骨の保管者である札幌医科大学に対し「昭和37年5月から6月にかけて浦河町東栄遺跡のあたり、出土した人骨をアイヌ期(もしくはアイヌ文化期)と特定した理由が明らかとなる文書」の開示請求を行いましたが、札幌医大からは「公文書不存在」との回答を得ました。発掘された東栄遺跡からのアイヌ人骨がアイヌ文化期のものであるとする記録は存在しないのです。東栄アイヌ墓地から発掘された遺骨が、近代以後の遺骨であるとしたら、篠田、安達両氏は和人との混血が進んでいない、アイヌ文化期の遺骨を選別して研究に使用したとする研究の前提が覆ることになるのではないでしょうか。


④発掘時、東栄遺跡からはアイヌ人骨とともに、土器、石器などが発掘され、発掘報告書によると、土器、石器は縄文早期のものと報告されています。

昭和37年6月25日、浦河警察署長は埋蔵文化財として以下の物件を文化財保護委員会に報告しています。
  
物件の名称 縄文時代早期土器   多数(リンゴ箱3個)
           同石器   若干
         アイヌ人骨   34体
        同副葬品     若干

上記の物件は、同年12月4日、文化財保護委員会から「埋蔵物の文化財認定」を受けています。現在、発掘された埋蔵物は北海道教育委員会が管理しているものです。

アイヌ人骨が埋蔵文化財と認定されたのは、人骨が土器、石器とともに発掘され、土器、石器に付随して発掘されたという理由で認定されたと推察されます。しかし、土器、石器が縄文早期の遺物であり、アイヌ遺骨が明治以後のアイヌ墓地からの発掘であるなら、双方はたまたま同じ地域から発掘されたのであって、何らの歴史的関係も成立しないことは明らかです。したがって、当時の文化財保護委員会の認定そのものが誤認に基づくものであったと考えられます。

そうなると、篠田、安達両氏のアイヌ人骨の研究はもともと文化財でもありえない近代のアイヌ人骨を江戸時代のものと主張して、架空の前提にたってDNA研究を行ったことになります。両氏の論文の根底が揺らぐことになり、論文の取り消しをする必要があるのではないでしょうか。


以上の私たちの質問にお答えくださるようお願い申し上げます。

尚、回答は文書にて遅くとも7月31日までに下記にお伝えください。

連絡先事務局 〒077-0032 留萌市宮園町3-39-8
アイヌ民族情報センター内 
北大開示文書研究会  三浦忠雄
Phone.Fax 0164-43-0128