「サケ漁業権確認訴訟」支援センター > 裁判所への意見陳述

陳述書

山下孝夫

1 アイヌであること

私は現在シベチャリアイヌトライブ(旧静内アイヌ協会)という団体の地域理事をしています。

私は、昭和28年(1953年)2月21日に、東静内で生まれました。父は和人で母はアイヌでした。父は行商をしていましたが、母は雑貨店を営んでいました。当時、お店の周りにはアイヌの人はいませんでしたが、近くの桜井という集落には数軒のアイヌの人が暮らしていましたし、浜には多くのアイヌの人がいました。

2 小さいときは静内ではアイヌの文化が息づいていた

私が小学生のころ、地域ではまだアイヌプリ(アイヌの伝統にしたがった)で葬儀を行なっていました。近くに住んでいたあるアイヌの人が亡くなり、キナウ(茣蓙)に包んで土葬していました。墓地にはクワが何本も立っていたのを覚えています。クワというのは墓標のことです。周辺にはエカシ(長老)が何人もいて、交流がありました。みんな儀式があれば集まってカムイノミやイチャルパをしていました。

3 アイヌの文化の保存に取り組む

私は、中学を卒業すると札幌に出て、25歳くらいまでは大工として働いていました。その後、静内ダムの工事があると聞いて、ダム現場で働くために戻ってきました。静内では、3人の姉たちがアイヌの踊りを勉強していて、私は踊りを教えてくれるばあちゃんのところへ、姉たちを送迎するようになりました。それが縁で静内アイヌ民族文化保存会と関わるようになり、この会に入ったのです。

当時、カムイノミをできる人もいなくなり、昔のフィルムを見たりしながら「再現」することをしていました。私は、昔のフィルムや写真だけでは本当の文化は受け継げない、「アイヌの言葉を覚えなければ意味がない」と思いました。

そこで、私は、アイヌ文化の勉強を始めました。しかし、資料はほとんど残っていませんでした。たまたま東京から勉強に来ていた人が記録していたカムイノミの祝詞を覚えることから始めました。私と同じ年代の4人くらいの仲間で勉強会を作り、自分たちの教科書のようなものを作りました。そのうちに、私はシャクシャイン法要祭や北大での法要祭で祭司を務めるようになりました。北大の法要祭というのは、北大が収集したアイヌ遺骨の返還が問題になった時、北大が納骨堂での法要(イチャルパ)の開催を認めたために行なわれるようになりました。

静内には、織部ステさんというアイヌのフチが、カムイユッカラを語れる数少ない人として存命でした。ステフチは、3日3晩かけてカムイユッカラを語るのです。彼女は無形文化財の指定も受けていました。私は、彼女からアイヌの言葉や神話、しきたりなどアイヌの文化を具体的に学びました。

4 新ひだかアイヌ協会を脱退する

私はそのうちに、静内アイヌ民族文化保存会の会長になりました。6年ほど前に新ひだかアイヌ協会の会長(現在、北海道アイヌ協会会長)から、「協会と保存会会長とどっちがえらいのか! 保存会会長の方がえらいのか!」と言われました。またシャクシャイン像の前でカムイノミをしていたら「誰に断わって来たんだ!」などと罵倒されました。そのため、新ひだかアイヌ協会を辞めました。

当時、新ひだか町では、遺骨返還を巡って、ウポポイにアイヌ遺骨を集約すべきと主張する北海道アイヌ協会や新ひだかアイヌ協会の方針に反対し、アイヌの遺骨は地元のアイヌに返還すべきだと主張する人たちが活動をしていました。そして新ひだかアイヌ協会の総会で北海道アイヌ協会や新ひだかアイヌ協会の方針に反対する者は除名する、という議案が提出されたため、方針に反対する人たちは自ら新ひだかアイヌ協会を抜け、静内アイヌ協会という団体を作りました。私は、さっそくこの新しい静内アイヌ協会に入会しました。

静内アイヌ協会は現在シベチャリアイヌトライブと名称を変更し、遺骨返還に取り組んでいます。私は、このシベチャリアイヌトライブの地域理事となっています。

私は、遺骨返還に取り組んでいるラポロアイヌネイションのある浦幌町に3年くらい前に訪れました。私は、ラポロアイヌネイションには若いアイヌが多く参加していることを知り、感動しました。「静内でも若い人がいればな~」と羨ましく思い、また静内でも遺骨返還に真剣に取り組もう、ラポロアイヌネイションと一緒にやっていこう、と決意を新たにしました。

5 アイヌの権利は認めらなければならない

私は、様々な行事の際の祭司を務めるため、祭祀に必要なイナウを作るために柳の木を伐る必要があります。しかし、勝手に柳を伐れないのです。柳の木だけではありません。アイヌにとって大事なシャケをとることすらできないのです。私は、昔ながらにシャケ、木材など自然のものをとって文句を言われるのはどうしても納得がいかないのです。これらの物は自然の中で自然と共に生きてきたアイヌにとっては欠かすことができないものなのです。あとから北海道に来て、この自然の財産で儲けているのが国だと思います。シベチャリアイヌトライブでは、知事の許可を得てサケの特別採捕をしていますが、シャケを売ることはもちろん、自分たちで自由に食べたり、他のアイヌに分配することすらできません。アイヌの文化は、儀式だけではありません。私たちの自然と共に生きる生活そのものがアイヌの文化なのです。アイヌ民族文化保存会の会長としてこの点は言い切ることができます。

私たちアイヌは、かつてのように自由に自然から恵みを得られる権利が早急に回復されるべきだと思っています。

【現住所、署名】


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2024年12月27日、北大開示文書研究会