サーモンピープル
アイヌのサケ捕獲権回復をめざして

ラポロアイヌネイション/北大開示文書研究会:著 2021年6月刊

かりん舎 定価1300円+税

サーモンピープル アイヌのサケ捕獲権回復をめざして

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本書のもくじ


日本の先住民族であるアイヌ民族に経済的な漁業権を含めた先住権があることは、北海道島におけるアイヌ民族の歴史が明確に示しています。……ラポロアイヌネイションとしての運動が、アイヌ民族の先住権の回復に大きく寄与する一歩となることを期待せずにいられません。そしてその取組みは、長期的にはSDGs(持続可能な開発目標)と結びついた、地球社会が取組むべき世代を超えた課題でもあるのです。(北海道大学アイヌ・先住民研究センター・加藤博文センター長の本書への寄稿から)


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読者からの声

本書の内容には、大きく分けて3つの柱があると思いました。

第一は、アメリカ先住民の漁業権の法的な根拠の問題です(この点については、チャールズ・ウィルキンソンさんのレクチャー(20頁以下)および講演(128頁以下)で、よく理解できました)。先住民と移民国家(アメリカ)は、対等なネイションであること、対等なネイション間の条約により権利関係を定め、それが先住民の漁業権の法的根拠になっていること、その条約に反してワシントン州政府がトライブの権利を侵害、トライブの側の権利行使とそれに対する弾圧の経緯(魚戦争)、訴訟により条約(約束)の履行を求め、1974年に画期的なボルト判決を獲得したこと、しかしその後もなお、トライブの権利について様々な争いが生じ、裁判によって権利を確保し、さらにその内容を明らかにしてゆく必要があることが理解できました。

ウィルキンソンさんは「アメリカの法では裁判所、法廷が政府行政を上回る力を持っていて、政府の決定を覆す力を持っている」のに対し、「日本では、多くの場合、裁判所の判事が、行政政府側がこう決めたからと、それに従う傾向がある」と指摘しています(20~21頁)。日本の場合、法律や規則は権限のある国家の機関が(上から)「作るもの」という考え方が強いのに対し、アメリカ法では、事実の中に存在する「道理」を、裁判所を通じて「発見するもの」という考え方をとっているのかもしれません。ただ日本の場合、法律や規則に明記されていない事柄でも、道理に立ち返って考える必要があり、また先住民の権利を否定するような法律や規則については、「道理」に基礎づけられない法律や規則が正当なものかどうかという問いかけをする必要があろうと思います(『世界』12月号に、明治初期の川漁禁止にあたり、開拓使本庁(札幌)が全面禁止に抵抗した事実が紹介されていました(11頁))。

第二は、資源と河川、生態系のトライブによる科学的管理が進められていることの紹介です。条約で認められた漁業の権利も、魚が少なくなってしまえば意味がないこと、トライブ外の権利者との関係で、ルールをきちんと守っていることの証明をする必要があること、トライブ内部での公平を、データを示しながら実現してゆくこと等、専門的能力を身につけて(また専門家の協力を得て)科学的管理をすることの重要性が示されました。エド・ジョンストンさんの「政府が主張していることが科学的に正しい情報に基づいているのかどうか見抜くために、また、科学的、そして政治的利益も考えて、政府が政策を押し付けてくる場合もあるので、データに基づいて科学的に自分たちの権利を主張する……データこそが王様なのです」(51頁)という発言は印象的でした(日本の場合、科学的根拠よりも「政治判断」が優先されるような傾きがありますが、克服しなければならないことですね)。

また102頁で、ダムの撤去について「達成できた要因は、ローワーエルワの人々の努力もありますが、同時に、ワシントン州の人々がサーモンを愛し、サーモンが生活の一部であることを理解し、ダムによってサーモンにどのような悪影響があることを明らかにしたこと」を通じて世論を動かし、「「ダムは、アメリカ政府による開拓のため、農地にするため必要だった」という歴史から、「もう撤去が必要だ」という方向に変えていった」ことが紹介されていますが、この成果も、ダムの影響や撤去に伴う問題の処理方法について科学的な根拠を示すことを通じて実現したものなのだろうと思います。さらに、マカが網を使って漁をしていたことについての法廷での証明(71頁)も、考古学による科学的根拠の提示ですね。

第三に、より根本的な問題です。条約と訴訟は、侵害されていたトライブの権利を回復する手がかりとなりましたが、しかし68~69頁のグレイグ・アーノルドさんの次の発言が重要だと思います。

「私たちがアメリカ政府と結んだニアベイ条約もそうですが、アメリカ政府によってトライブの権利を抑圧し制約するために作られた、それがさまざまな法律や条約だと思っています。政策や法律は国が決めるものではなく、マカの海に関する政策、マカの海についての法律、というふうにトライブが決めるものだと、私は考えています。……海が自分たちにとってどういう意味であるのかは、連邦政府の見方ではなく、入植者の人々の見方ではなく、自分たちの見方であることが大切です。何が権利なのかということを、裁判所に決めさせてしまったと、私は考えています。……漁獲量の50%を認めたボルト判決は、もしかすると、もともとはトライブが100%持っていた権利をせばめたと言えるのかもしれません。」

「マカの海に関する政策、マカの海についての法律」というように、問題はこの大地、この海で人がどのように暮らすことができるかということであり、その権利を契約(条約)によって処分するというのは、先住民においても本来できることではなかったということかと思います。35頁のビリー・フランク・ジュニアさんの「彼ら〔白人〕が来たときは、お腹を空かせ何を食べるべきなのかもわからなかった。そこで何が食べられるのかを教えました」という言葉は、先住民の有していた、同じ空間で人が共生するためのルールを示すものだと思います。ですから、現実には条約を手がかりとし、これを活かしてゆくことが必要ではあるが、常に条約以前の世界についての見方を忘れてはならないということかと思います。

本書の末尾に訴状が掲載され、そこでは幕府時代にアイヌ民族の支配地域は和人政府の版図ではなく、和人とアイヌは交易主体として対等のネイションであったこと、そして明治期にアイヌ民族の支配領域を和人政府の版図に組み入れる法的根拠がなかったことを指摘しています。日本の裁判所において、現行法や判例を超える議論はなかなか難しいところがありそうですが、この点から出発しなければ真実が見えません。そしてウィルキンソンさんは、講演の中で、この歴史的事実の解明の必要と並んで、「先住民族の権利に関する国際連合宣言」が「強力な指針」であることを強調されています(139~143頁)。最近、アムステルダム市長が、大西洋奴隷貿易について謝罪したという事実も報道されています(日本でいうと戦国時代から江戸時代の事実ですね)。日本では、国策として歴史の忘却が進められてきたようなところがありますが、それは現在では通用しないのだということが、市民レベルでも知られ、それが裁判所にも反映されなければならないと思いました。

(高橋眞さん/ご本人の承諾を得て掲載、2021/09/13)