「サケ漁業権確認訴訟」支援センター > 裁判所への意見陳述
陳述書
山下明美
私は白老に拠点をもつ宇梶静江さん代表のアイヌ復権活動団体「アイヌ力」で事務局長をしております。
私は平取町出身でアイヌです。旧姓は平村といいます。私の4代前の曾祖父平村ペンリュウクの墓が暴かれたのが1933年(昭和8年)でした。私は、2016年になって、その遺骨が北大のアイヌ納骨堂にあることをしりました。北大の教授が曽祖父のペンリュウクの遺骨を学問の名のもとに盗掘したのです。この盗掘には歴史があります。最初にアイヌの墓を暴いた東京大学の小金井良精は日記に「闇夜に見張りをたて発掘した」と、アイヌに知れないようにこっそりと盗掘した事実が書かれております。
私のご先祖であるペンリュウクは江戸時代の1832年に生まれました。明治期では平取村の村長でした。
北大の納骨堂にペンリュウクの遺骨があることをつきとめた私の姉は、北大に遺骨の返還を求めて責任者に面会に行きました。責任者は最初はペンリュウクさんの遺骨で間違いありません、と言っていたのに、途中から証拠が不十分なのでペンリュウクかどうかわかりません、と変わりました。このやりとりは姉との書簡のやりとりに残っています。北大のアイヌ遺骨調査報告書には、はっきりとペンリュウクの遺骨を得たと書いているのに、あとから「分からない」と変わったのですから、ずいぶんひどい話です。
私のアイヌ活動の原点はアイヌ遺骨返還運動に関わったところからです。
姉と私は「平取アイヌ遺骨を考える会」に所属して、平取から盗掘されたすべてのアイヌの遺骨の返還を北大に求めて来ました。結局ペンリュウクの骨であるという証拠がないまま、これらの遺骨が令和2年(2020年)平取に返還されました。ウポポイの納骨堂に入れられなくてよかった、と思いました。政府は「アイヌ遺骨返還は請求あるものについては返還している」といいますが、遺骨の返還ガイドラインでは、遺骨を返還した後にアイヌたちに慰霊の儀式をしなさい、という内容です。盗掘しておきながら、立場が逆転している状態になっています。
それらのことを姉土橋芳美は「痛みのペンリュウク:とらわれのアイヌ人骨」長編叙事詩になかに書いています。私もこの本がきっかけでアイヌ遺骨問題と正面から向き合うことになりました。
昨年12月、札幌でアイヌネノアンアイヌ、人が人であるための学問を問う会が開かれました。アイヌ・沖縄の琉球民族に関する研究倫理指針を考える会が主催しました。
この集会の目的はアイヌ・琉球民族の遺骨をお墓から盗んだ学問的業績が盗掘という犯罪の上に成り立つもので、盗掘した研究者は断罪されなければならず、まずは謝罪すべきである――という主旨の会でした。
結論は、日本文化人類学会は反省文を寄せて来ました。あとの二つの学会、日本人類学会と日本考古学協会からは謝罪はありませんでした。これらの学会、研究者たちは、謝罪はしないが研究は続けるというものです。
大量にアイヌ遺骨を保管してきた北大は謝罪はいまだにしていません。
アイヌ施策推進法が2019年に施行されました。この法律はアイヌは日本の先住民族と認めましたが、アイヌの権利についてはまったく認めていません。これについて2022年に国連自由権規約委員会が日本政府に勧告を出しています。(1)伝統的土地や天然資源に関する権利、(2)影響を与える政策への自由な参加、(3)母国語(アイヌ語)での教育の保障などがその主な内容です。
特に(1)伝統的土地や天然資源に関する権利の先住民族アイヌの漁業権の回復を望みます。
2024年4月18日札幌地方裁判所は、ラポロアイヌネイションのサケを獲る権利を求めた訴えを退けました。
しかし、その中での文化享有権とサケ捕獲権との関係に違和感を感じています。いろいろ説明されていますが納得がいきません。文化は私たちアイヌの生活から生まれるものです。そしてその生活は日々の暮らしであり、生計を立てている生活そのものです。裁判所が経済的活動は文化ではないと言い切る姿勢に、アイヌ民族は日本の先住民族である。という定義と矛盾すると感じています。国連自由権規約委員会の勧告を実施し、アイヌの権利を保障することを強く要望します。
2025年9月4日
【現住所、署名】
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2024年12月27日、北大開示文書研究会