「サケ漁業権確認訴訟」支援センター > 裁判所への意見陳述
陳述書
一般社団法人アイヌ力 代表 宇梶静江
私は1933年3月3日、浦河町姉茶(あねちゃ)で6人兄弟の次女として生まれました。現在、92歳です。
親は2人ともアイヌです。父方の母(私の祖母)はアイヌで、アイヌ名はハルコルジといいます。その夫(私の祖父)は金沢から来た和人です。父は荻伏の町と浦河の町の間の井寒台(いかんたい)、という海辺の集落の出身です。
子どものころ
父は、夏の間は浜辺で昆布をとる仕事をし、秋になると山仕事をしていました。杣人(そまびと)と呼ばれ、大樹を伐りだす樵(きこり)の仕事です。私たち家族も父の仕事にあわせて、夏は6月の初めに家族で浜辺の小屋に移り住み、秋になると浜から7kmか8km内陸に入った姉茶での里の暮らしに戻って暮らしていました。
父が樵として山に入っている間、私は母の畑仕事を手伝ったり、囲炉裏で燃やす薪を集めたり、小さな弟たちの世話をしたりして、子どもながらもよく働きました。父も母も、貧しいけれども私たち子どもに対しては強い愛情をそそいでくれました。
両親は、正月から春までに稼いだお金で、昆布採りでお世話になったアイヌの人や、仕事につくことができないアイヌのお年寄りなどを招いて、何日間も、お金がある限りお酒や食べ物をふるまいました。夜を徹して語り、歌い、踊ります。足が痛いと言っていたアイヌのおばあさんも痛みを忘れて「ヤイサマ(即興曲)」を歌います。同胞に対する父のこうした姿勢は、その後の私の生き方に大きな影響を与えたと思っています。
アイヌに対する理不尽な言動
姉茶の村にはアイヌの家も多くあり、子どものころは、自分がアイヌであるということを意識しないで育ちました。しかし、次第に、和人の子どもや教師たちから、冷たく、悪意のある態度をとられることが多くなり、心が傷つきました。自分だけではなく同胞の友だちも同じ痛みの中にいると感じていました。薄毛の和人たちは、毛深い私たちアイヌを獣のように馬鹿にしました。毛深いことは自分では解決できないことですが、それが子供や若者にはコンプレックスになっていきます。なぜ、このような理不尽な目にあわなければいけないか、その頃は全く理解できませんでした。
この悩みは、その後、なぜ、アイヌが川でのサケ漁が禁止され、アイヌ語や文化を否定されなければならないのかという疑問へとつながっていきました。かつてのアイヌは、川で自由にサケを獲り、浜でコンブを採ることができたのに、なぜそれらが禁止されなければならなかったのかという疑問です。
アイヌ解放運動への参加
20歳で札幌の中学に入学した私は、中学卒業後、アイヌであることを秘して東京での暮らしを始めました。詩に出会い、詩人として詩を書き続けるうちに、アイヌとして心に湧き出るものを抑えきれなくなり、1972年には『朝日新聞』に「ウタリたちよ、手をつなごう」と呼びかける文章を投稿しました。そして翌年には、「東京ウタリ会」を設立します。しかし、アイヌであることから逃れて東京に出た同胞たちに、私の呼びかけの趣旨が十分届いたとはいえません。
63歳で古布絵に出会い、自分の中の内なるアイヌを制作に向けていくうちに古布絵作家として世に認められ、吉川英治文化賞やアイヌ文化賞などを受賞しました。
「アイヌ力」を立ち上げる ~暮らしと、文化と、権利の保障によって取り戻すアイヌのカ
若いころ、アイヌから逃れようとした私ですが、心はいつも北海道のアイヌの同胞たちにあり、4年前に北海道にもどりました。現在は、白老町で「一般社団法人アイヌ力」を立ち上げその代表として活動しています。
その活動の基礎となっているのは、アイヌの暮らしと文化と権利に対する私の強い思いです。
すべて文化というものは日々の暮らしから生まれます。とりわけ先住民族の文化はそうです。自然やカムイが身近に感じられる暮らしから切り離された文化には力がありません。
しかし、今、アイヌ文化は暮らしから切り離されて、博物館に飾られるものになっています。おおもとのアイヌとしての生活がなければ、アイヌの刺繍、木彫り、歌・踊りも、細ってしまいます。形をなぞらえるだけのものになってしまいます。
もし政府がアイヌの文化を推進したいと思うなら、その文化を支えるアイヌとしての暮らしも保障されなければなりません。
北海道の川の一つでも二つでもいい。そこでアイヌが自由にサケ漁ができる権利を取り戻したい。そうすればアイヌに力が戻ってきます。
子どものころ、4歳年上の兄が毎晩出かけていたことがありました。そして、しばらくしたある日、塩漬けのサケを何十本ももってきました。家族はだれも知らなかったけれど川で密漁をしていたのです。もし、自由にサケが獲れていたら、兄もほかの若者たちももっとサケを採ってお金を稼げたと思う。そうしたら父と母もどんなにか喜んだだろうか。
アイヌには権利がないから、堂々と生きられないのです。住宅資金の貸し付けや学校へ行くための奨学金も大事です。でもこのような福祉対策だけでは、アイヌがアイヌであることに喜びを感じることはできません。
私にはもう長い時間は残されていません。でも私たちアイヌが日本の先住民族であるためにまだやることがある。いま、アイヌ民族の将来が決まる重要な岐路にたっている。そういう思いで必死に生きています。
先祖から受け継いだアイヌの魂と豊かなアイヌ文化を子孫に受け渡せるように、アイヌの暮らしを取り戻す、その第一歩としてアイヌの漁業権回復のために力を尽くしたいと思っています。
令和7年8月22日
【現住所、署名】
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2024年12月27日、北大開示文書研究会