「サケ漁業権確認訴訟」支援センター > 裁判所への意見陳述

陳述書

高月留美子

1 私は、三石歌笛で生まれ育ちました。

両親は、いずれも祖父母の代に、福井や秋田から入植しました。

私は高校卒業まで歌笛で生活していましたが、隣の家のおじいさんがアイヌのエカシで、コタンの他の人たちは強制移住で別の所に移住させられたのですが、一軒だけ残って生活されていました。隣のおばあさんは、入れ墨をいれていました。息子さんが猟師で、熊肉やシカ肉をもらったりして仲良くし、交流していました。隣の家に行くと、刀やサパンペ(頭飾り)を飾ってありました。

とても良い方たちでしたが、子どもさんたちも、ここでの生活ができなくなって皆家を出て離れてしまい、もう家も残っていません。

おじいさんが亡くなったときは、たくさんのアイヌの方が来られてお葬式をしていました。

隣のおばさんは、「醤油や塩を貸してくれるのは、あんたのうちだけだよ」と言っていました。昔のことで、調味料などを切らしたときは隣近所で貸し借りをしていたのですが、アイヌということで、近所の他の家からはそのような貸し借りさえ断られていたようです。

隣の家の子とケンカしたとき、アツ子という名前だったので「(あんたは)『ア』だからアイヌ」と言ったら、その子はとても悲しそうな顔をして下を向いてしまいました。「あんたはアイヌだから」と言われたのだと思ったのです。いつも優しかった隣のおばさんは「何てこと言うの!」「バカにしているのか!」とすごく怒りました。私としては何の意図もなく悪気もなく言った一言でしたが、ずっと心にとげのように刺さり、何ということを言ってしまって傷つけたのだろうと、ずっと後悔しました。

2 私は高校卒業後札幌で専門学校に通い、保育士の資格を取得して、子どもが生まれてからは町立保育所で保育士として働いてきました。

夫とは高校生の時電車通学で知り合い、女性だからと束縛することのない、自由な考えの人であると信頼することができましたので、結婚することになりました。しかし、夫と二人で両親に挨拶に行ったとき、両親は事前にどこかに行ってしまい、会ってくれませんでした。叔父が代わりに会ってくれましたが、父は、夫がアイヌということで反対なのだと思いました。

3 私の子どもたちは、アイヌである夫のルーツを引き継いでいます。ですから、私にとってアイヌの問題は、自分の子どもたちや孫たちの問題そのものなのです。子どもたちや孫たちが幸せに生きて行けるように、アイヌのルーツに誇りを持って生きて行けるようにと願ってやみません。

身体を壊して一時三石でアルバイトをしていたとき、知り合ったアイヌの女性は、アイヌであるが故に受けてきた差別や苦しみがありながら、それに負けず、アイヌとしての活動をしておられ、私は尊敬の思いを抱きました。

子どもたちも、そんなふうに強く生きてほしいと思います。

その一歩として、静内から持ち去られたアイヌの遺骨を取り戻したいと思っています。

4 アイヌがアイヌとして生きていくためには、何よりもしっかりした経済的基盤を持つことが大事だと思います。

経済的な基盤がないと教育を受けることもできません。静内アイヌ協会から名称変更した「シベチャリアイヌトライブ」の会報を発行していますが、漢字を使うと読めない会員がいるので、全部ひらがなのルビをふりました。

教育はとても大事だと思います。そのためにも、アイヌの経済的基盤をしつかりさせる必要があります。

ラボロネイションの訴訟によって、アイヌの生活基盤を確立することができるよう、心から願っています。


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2024年12月27日、北大開示文書研究会