裁判の記録

ラポロアイヌネイションのサケ捕獲権確認請求訴訟
第8回口頭弁論後の原告団弁護団記者会見から

2022年5月26日、北海道高等学校教職員センター

第8回口頭弁論後の原告団弁護団記者会見から

市川守弘弁護士

みなさん、お疲れさまです。今日の裁判がどういう流れだったのか、傍聴された方は分かったと思うんですが……。

原告は、「明治以前から、あの地域(浦幌十勝川下流域)で4つのコタンが独占的・排他的漁猟権をもってサケを捕獲していた」という主張をして、それが明治以降、日本政府によって禁止されたために、おもてだってはできなくなってしまったけれど、「密漁」という形で継続して、ずーっとサケ漁をしていたんだよ、と。4つのコタンが持っていた権限を、同じ地域の、現在のラポロアイヌネイションが、構成メンバーはそれぞれのコタンの子孫であって、同じようにラポロアイヌネイションとしてその権利を持っているんだ、と。だから日本国や北海道=被告はそれを認めろ、という裁判を起こしました。

それに対して、被告側がなんといっているかといえば、まず「そうした歴史的経過が事実かどうかについては、いっさい触れない、認否しない」「水産資源保護法をはじめ現行の法律には、ラポロアイヌネイションにサケ捕獲権があるという規定はありません」「したがって、みなさんがた(ラポロアイヌネイション)にサケ捕獲権はありません」と。法律を楯にして、「法律上規定されていないから、そのような権利は認められません」と、一貫して主張していました。今回の被告第4・第5準備書面も、基本的にそのように主張しています。

それに対して原告が、歴史的事実に基づく漁猟権は、まずひとつには、日本の国内法でも規定されている「慣習法」によって認められますよ、それから一番大きいのは国際法、ICCPR(市民的政治的権利に関する国連規約)とか、それと対になっている社会権規約、それから人種差別撤廃条約、さらには、直接的なものではないけれども、どういう漁猟権なのかという点については「先住民族の権利に関する国連宣言」などを根拠に、原告が固有の漁猟権を持っている、ということを主張してきました。国側は、それら国際法については「日本国内でただちに認められるものではありません」「現行法によって認められていないからダメです」という言い方だったんです。だからわれわれはこれまで、被告に対してずーっと、原告の主張する歴史的経過が事実かどうかについて、肯定するのか、それとも否定するのか「認否しろ」と求めてきました。

原告がどういう事実関係に基づいて権利を主張しているのかを訴状や準備書面で詳しく述べて、そのような事実が、人権規約などの国際法によって、あるいは日本国憲法によって、さらには条理(一種の一般常識も法源、法律と同じになんですが)、その法や条理に照らせば、この権利が認められるでしょ? と言っているんです。

ところが被告は、そうした事実関係にはいっさい触れないまま「国内法によって否定されているんだから、それ以上、国際法を根拠にそのような権利が認められることはありません」という言い方をしていました。

これまでのそういう流れのなかで、今回、原告は「被告はなぜ、これまでの歴史経過について認否しないのか?」「被告がこのことを認否しないと、どういう事実関係にもとづいてその権利を認めるべきなのか、認めないのか、(裁判所が審理すべき)対象が定まらないでしょう?」「(ラポロアイヌネイションによって)営まれてきた行為——サケの捕獲——が、権利として認められるのかどうか、事実関係のなかにあてはめていかなければならないでしょう?」と言ったんです。しかし、傍聴されたみなさんはお聞きになったと思いますが、それに対する裁判所の反応は「これはもう、水掛け論になりますね」というものでした。「そもそも現行法上、認められていない権利なのだから、歴史的経過とか、どういうサケ捕獲行為が(裁判の)対象なのかといったことについては、言うまでもないですよ」っていう被告の立場と、原告の立場を見たら、「認否をする・しない(の論争)は水掛け論になるから、これ以上、やってもしょうがないですね」って……。裁判長は「裁判所としては、原告の主張する行為を法令——国際法・憲法・条理・現行国内法——に照らして、権利として認められるか、認められないかを判断することになります」「だからこれで結審にしますか?」まで言いました。

だけど、この裁判の進め方は、あまりに乱暴だと思います。国際法、少なくとも人権規約とか社会権規約とかは、日本の現在の司法試験の勉強科目に入っていません。これらの国際法について勉強しなくても、司法試験の科目さえ勉強していれば、司法試験に合格して、法律家になれる。この裁判の裁判官たちもそうでしょう。正直、弁護士も同じです。とりわけ先住民族の権利に関して、国際的な分野から権利がどんどん認められているなかで、国際法をちゃんと理解して、それが日本国憲法にどう反映されるのか、国際法に反するような国内法をどう解釈すべきなのか、(日本の法曹界に)いま大きな問題があるんですよね。「国際法がただちに適用されるわけではない」「それぞれの国の裁量が認められているんだから」と被告準備書面に書かれていることが、果たして国際的に通用するのか、大問題なんです。ただ今回、裁判所がそこまで深く考えているかどうかは、僕は分かりません。

きょうの口頭弁論を終えて、原告弁護団は、「この裁判所はどこまで真剣に原告の訴えに耳を傾けているんだろうか」「日本の裁判所としてどこまで真摯に判決を書くのだろうか」と、ちょっと疑問を抱いています。もちろん疑問に思うだけではしようがないので、「原告が主張している権利をもし裁判所が認めなければ、日本が国際的に大きく立ち後れていることを示すことになるんだ」ってことを裁判所に分かってもらえるような主張をしていこう、と、いま弁護団で相談したところです。きょうの裁判所の対応については、たぶん、傍聴席からみなさんが見てお感じになったとおりだと思います。


毛利節弁護士

今日の口頭弁論で、私から裁判官にお伝えしたことを、分かりやすくご説明します。被告(国・北海道)が「事実について認否しません」と言ったのに対して、裁判官が「分かりました、じゃあそれはそれで……」みたいな感じで収めようとしていると感じました。民事訴訟法に規則があって、その80条では、「訴状の事実関係については答弁書で認否しなければなりません」と約束、ルールが決められているんですね。これに対して被告が何と言っているかというと、準備書面の最後で「原告の請求に理由がないことは明らかであるから、認否しません」と。しかし法律には、「請求に理由がなければ認否しなくていい」だなんて、書いてないんですよ。そもそも訴訟というのは、「相手方の請求に理由がない」と思うから訴訟になるんであって、この理由で認否しなくてよいとなれば、だれも認否しなくなっちゃいます。民事訴訟制度を瓦解させるような大変なことを、オフィシャルな場で、国が公然と言っているということを、非常に奇異に感じました。ルールに従ってちゃんと認否するよう被告に求めてください、と裁判官にお願いして、訴訟指揮も要請したのですが、裁判官はなぜか、「水掛け論になりますから」と言って幕を引いてしまった、というのが今日のやりとりでした。


民事訴訟規則第80条【答弁書】

  1. 答弁書には、請求の趣旨に対する答弁を記載するほか、訴状に記載された事実に対する認否及び抗弁事実を具体的に記載し、かつ、立証を要する事由ごとに、当該事実に関連する事実で重要なもの及び証拠を記載しなければならない。やむを得ない事由によりこれらを記載することができない場合には、答弁書の提出後速やかに、これらを記載した準備書面を提出しなければならない。
  2. 答弁書には、立証を要する事由につき、重要な書証の写しを添付しなければならない。やむを得ない事由により添付することができない場合には、答弁書の提出後速やかに、これを提出しなければならない。
  3. 第53条(訴状の記載事項)第4項の規定は、答弁書について準用する。

長岡麻寿恵弁護士

裁判官の対応は、先ほどからの報告にあった通りです。事実関係について認否しないということは、国は自らがアイヌ民族に対して行なってきた行為を真摯に受け止めていない、ということです。認否について、認めるか認めないかを明らかにすることすら、しない。きわめて不誠実な態度ですよね。でも裁判所は「それはそれで認否なしでも裁判を進めます」ということです。これまで、日本国内の非常にガラパゴス的な司法の下で、「国際法は関係ないよ」「国際人権法が何を言っていても、日本の法律が(優先して従うべき)法律だよ」と、国際法からおよそかけ離れた、憲法秩序からもかけ離れたやり方で進んできています。国際法、条約というのは、国内の法律より上位にあるんです。それはもう憲法で決められていることです。国際人権法が積み重ねてきたものを、裁判所にいかに認めさせていくか。国際人権法を無視する判断はすごく恥ずかしいことなんだよ、ということを裁判所に理解させていくか、緊急に問われていると思います。


差間正樹・ラポロアイヌネイション会長

私たちは十勝川の河口域で、コタンを作っていたアイヌ、その当時の先住権、海・山・川に自分たちの権利として、イウォㇿ(支配領域)をつくって、誰にも入らせない、自分たちだけがその範囲で先住権を行使する、そういったことをやっていた、ということを主張しております。それに対して、国はその事実を、あるともないとも言っていないんですね。何とか私たちの権利を認めてもらうよう、この裁判所で認めてもらえるようになればいいなと思っています。以上です。


フロア(北海道新聞)

弁論を見ていて、民事訴訟法規則80条が出てきて、(被告の認否拒否は)明らかに(規則に)反しているように見えます。罰則はないようですが、被告がこれに反していると指摘することで、どのような(原告に有利な)効果が考えられるでしょうか。

毛利節弁護士

民事訴訟法159条に「事実について認否を明らかにしない場合には自白したものとみなされる」という、事実認定上の効果が出てきます。それ以上に、認否しなかったからというのに対して罰則はないんですよね。認否しなさいと強制することはできない。ただ、裁判所は法令に従って裁判を執行しなければなりませんから、適切な訴訟指揮として、被告に認否を促す義務はあろうかと思います。裁判所に今日、そういった職権をちゃんと発動してください、とお願いしたんですが、裁判所は「もうこれ以上は(被告に認否を求めません)」という幕引きを図ったのかな、という印象です。


民事訴訟法(自白の擬制)

  • 第百五十九条 当事者が口頭弁論において相手方の主張した事実を争うことを明らかにしない場合には、その事実を自白したものとみなす。ただし、弁論の全趣旨により、その事実を争ったものと認めるべきときは、この限りでない。
  • 2 相手方の主張した事実を知らない旨の陳述をした者は、その事実を争ったものと推定する。
  • 3 第一項の規定は、当事者が口頭弁論の期日に出頭しない場合について準用する。ただし、その当事者が公示送達による呼出しを受けたものであるときは、この限りでない。

フロア(北海道新聞社)

「裁判官の義務」が果たされない場合に何か(ペナルティが)あったりしないんでしょうか?

毛利節弁護士

(この裁判官の下では)公正な訴訟ができない恐れがある、として忌避の申し立てをする、という手段がないわけではありません。


フロア(森の映画社)

裁判がきょうで終わってしまうのかと、すごくビックリしました。次回、もう一回あることになりましたが、本当に次回9月1日の口頭弁論で結審、とかもありうるのでしょうか。

市川守弘弁護士

裁判所がどう考えているかによるのですが、こちらとしてはまだまだ、と思っています。向こう(被告)は水産資源保護法によって(河川内でのサケ捕獲を)規制をしている、アイヌだからといって、特別な権利は認められません、と(主張しています)。じゃあ水産資源保護法が内水面でのサケの捕獲を禁止している根拠は何かというと、「サケの資源を保護するため」って言っています。でも、そのわりに、じつは、北海道知事の特別採捕許可を受けたさけ・ます増殖事業協会が、北海道の立てた増殖事業計画に基づいてものすごい数のサケを「卵を採るため」という名目で、川で採捕しています。そのことのよしあしは措くとしても、その捕獲規模に比べて、じゃあラポロアイヌネイションのサケ捕獲が、本当にサケの資源保護に反していて、禁止されるほどの行為なのか。いっぽうで(北海道の増殖事業がサケ親魚を川で)こんなに捕っていて……。といったこととか、この裁判で審理されるべき問題点はまだまだいっぱいあるんですよ。さっきの国際法の問題もそうですし。裁判所が「もう結審して法解釈をしたい」と仮に思っているとしても、「そう簡単には法解釈で結論は出せませんよ」という主張をしていくつもりです。次回ないし次々回で結審するとは思っていません。


フロア(朝日新聞社)

歴史的経過について、ついに認否しなかった国側の対応について、規則/実務上の問題点以外に、改めて批判すべき点があればお聞かせください。

市川守弘弁護士

国は、この150年の歴史に正しく向き合おうとしていない、ということがひとつ。歴史に向き合おうとしない姿勢は、たとえばアメリカ合衆国、カナダ、ニュージーランド、オーストラリア、フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、まだ多くあると思いますが、先住民族の権利を奪ってきたこれまで歴史は誤りだったと認めて、いまその権利回復に努めている国々に比べて、非常に立ち後れている、後ろ向きだ、と思います。アイヌから先住民族固有の諸権利を奪った明治時代から、依然として変わっていないことに対して、厳しく反省すべきだ、と言いたいです。


フロア(NHK)

この裁判が始まってから、国は一貫して歴史的経緯に対する認否を拒んでいて、国がこの歴史についてどう考えているのかすらわからない状態です。乱暴な言い方をすると、話し合いにすらなっていないと感じます。差間さんはどのようにお感じでしょうか。

差間正樹さん

私たちの要求している先住権は、日本では認められていないんです。アイヌの全道組織である北海道アイヌ協会は、かつて北海道ウタリ協会という名前だった時代に、萱野茂さん(1926-2006)、野村義一さん(1914-2008)といった諸先輩が、「アイヌには権利がある」といって、従来の北海道旧土人保護法を廃止して新しい法律をつくれ、と要求したんですよね(社団法人北海道ウタリ協会「アイヌ民族に関する法律(案)」 1984)。しかし、その後に出来上がったアイヌ文化振興法(1997年)は、私たちの要求のほとんどを捨て去ってしまって、文化だけを取り上げた法律、(日本は)これを私たちに提示してきたんですよ。当時、北海道に住んでいるアイヌとして「これでは許せない」という人と、「旧土人保護法からみたらこれでもまだ進歩したほうだ」と考える人と、葛藤があったんですよね。そのようなアイヌ文化振興法を経て2019年、現行のアイヌ施策推進法ができて、私たちを先住民族と初めて認めたものの、やっぱり、私たちが元々持っていた先住権の部分については、まったくパスしているんですよね。アイヌの中にも、文化的施設を作ればそれでいいという人たちと、いやいや私たちが本来の権利を求めていることを発信すべきだ、っていう人たちの間で、大きな溝ができてしまっているんです。これ自体、国の仕掛けた罠っていうんですかね。私たちはその罠にすっかりはまってしまって、私たちの先住権、北方領土に対する権利についても物を言わない、カラフトについても物を言わない、カラフトから北海道に強制移住させられて、その結果、北海道に住んでいる人たちの権利についても物を言わない。私の考えでは、この浦幌十勝川の河口域に住んでいるラポロアイヌネイション(の起こした訴訟)が、この状況に風穴を開けると言うんですかね。(ラポロアイヌネイションのサケ捕獲権が)この裁判で認められれば、また北海道、日本の状況も変わってくるんじゃないかな、という思いでおります。


アイヌ民族に関する法律(案)
前文

この法律は、日本国に固有の文化を持ったアイヌ民族が存在することを認め、日本国憲法のもとに民族の誇りが尊重され、民族の権利が保障されることを目的とする。(全文はこちら


フロア(フリーランサー)

毛利弁護士に質問します。法律上、認否をしなければ「自白とみなされる」とのことですが、それは国が自動的に原告側の主張を認めたとみなされる、ということにはならないのでしょうか? これまでの経緯を踏まえると、国は自ら素直に「(アイヌに対する歴史的不正義を)認めます」と言えないでしょうし、むしろ司法にその部分の判断を委ねている、ということもありえるのかな、と思うのですが。

毛利節弁護士

国が認否しなかった場合の効果ですけれども、先ほども言ったように、民事訴訟法159条に「自白したものと見なされる」という規定はあります。ただ、この規定が本件で実際に使われるかどうかは、またひとつ問題があって。同じ159条には「ただし、弁論の全趣旨により、その事実を争ったものと認めるべきときは、この限りでない」とあります。ずーっとダンマリを決め込んで「認否しません」と。ただ、訴訟の全体の主張の中から——「弁論の全趣旨」という用語を裁判では使われるのですが——これまでの主張を全部ひっくるめて総合考慮して、「これは争っているとみなされます」と裁判所が認識して、そういう(原告の主張を被告が肯定したとはみなさない、との)判断をする場合があって、それを裁判所が使う可能性があります。もう一点、この件の認否うんぬんについて、裁判所の判決では一切触れずに無視して進める、という可能性もあります。民訴法159条に基づく「自白」、(相手の主張を)認めたものと見なす、という効果を私たちも期待してはいますけれども、それが適用される保証はありません。裁判官の考えひとつで変わってしまう。ですので、仮にそういった認定がされなくても、立証という形で裏付けが取れれば済む話なので、そちらの立証もちゃんとやっていこう、というふうに弁護団で確認したところです。

市川守弘弁護士

裁判所にああいうふうに(「これ以上は水掛け論なので、結審しますか?」と)言わせてしまうっていうのが問題だな、と思っています。アイヌ集団のサケ捕獲権、漁猟権、あるいは先住権の問題を扱う裁判は、これが初めてです。いままで一回もなかった。「権利主体は私たちです、場所はここです」と具体的に明記して、集団としての権利の確認を、と訴えているのは、訴訟界でもここが初めてなんです。そのことがなかなか裁判所に響いていかないことに、もどかしさを感じています。北海道ではけっこう、アイヌの先住権に関する認知度が高まっているんですが、津軽海峡を越えちゃうと、まったく知られていない。「そんな裁判があるの?」とか「アイヌって本当にいるの?」とか……。依然としてそういうレベルの人が多い。裁判官も全国を転勤していますから、たぶん現在の裁判官3名は、アイヌのアの字も知らなかったと推測しても間違いじゃないと思います。そういう人に分かってもらうためには、「これだけの多くの市民が、アイヌの人たちのこのような権利は当然だと認めているんですよ」ということを広めて、知らしめていくことが必要だな、と、今回つくづく思いました。ラポロアイヌネイションのこの裁判を、北大開示文書研究会のみなさんが非常に応援してくれています。日本国民救援会北海道本部も応援してくれています。ほかにも様々なところが応援してくれていますが、全国の問題としてこれをもっと広げていかなければならないと思います。そうすれば裁判所に「これはちょっと真剣に考えなければまずいぞ」と思わせるくらいに追い込めると思います。マスコミの方も含めて、ぜひみなさんのこれからの協力をお願いします。


まとめ・北大開示文書研究会